
過去記事の続きです。
カラヤンはブラームスのピアノ協奏曲第2番は、いくつか録音を残しています。バックハウス盤(1964年)とか、ゲザ・アンダ盤(1967年)などです。しかしですね、ピアノ協奏曲第1番については、「まったくない」のです。これは、一つのミステリーとして、大変有名な話なのです。
リチャード・オズボーンの広範な伝記、「ヘルベルト・フォン・カラヤン」、木村博江(訳)、白水社刊、(2001年)にはこうあります。
『(1964年)病気から回復したカラヤンは、まず最初にロンドンでベルリン・フィルハーモニーとブラームスの連続演奏会をおこなった。ソリストにはピアニストのゲザ・アンダとヴァイオリニストのクリスティアン・フェラースが招かれた。またしてもピアノ協奏曲第一番ニ短調が割愛されたことが、話題にのぼった。カラヤンがこの作品を避ける理由は、誰にもわからなかった。その話が出るたびに、縁起が悪いとでも言いたげに彼は話題を変えた。
No one knows why Karajan avoided the work; whenever the matter was raised, he always changed the subject, as though the piece was jinxed.』同書(下巻)pp.147
ブラームスのピアノ協奏曲第1番を、カラヤンは録音したことが1度もないばかりか、演奏会で指揮したことも絶無のようなのです。その理由については、いろいろ詮索されていますが、まぁもっともと思える理由はありません。永遠に解けぬ謎の一つでしょうなぁ。
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