丸山眞男氏のオーディオ装置を分析してみます、の巻。 |



この間取り図を見る限り ピアノの置場所が どう考えてみても 元々 和室の “押入れ” であった所を改装してピアノを入れた様にも見え , 又は こちらの家は 注文建築で オーディオ機材のレイアウトも考えた上でのものだったのかも...と思いました。カセットテープの置場所も寸法測ってオーダーした様にも見えます。ただ 押入れにピアノを入れる場合 , 中段の撤去工事が必要で面倒な為 もしかすると “床の間” であった所を改装したのかも? 等 気になりましたし , この横幅でピアノが入るのか?と。又 左側スピーカーの横は 図面上では 腰窓ではなく “はき出し窓” にも見えます。片側だけに窓があると音質的には多少 影響が出るはず? 昔は応接間といえば パンチングの絨毯敷きか “桜の寄木の板の間” だったので , そこに窪みがあるのは やはり和室だったのかな?とか考えてしまいました。図面を見ると6畳 + 板の間付きの和室で 板の間に飾り棚を置いている様にも見えますし, 洋室ともどちらにも見えます。これは あくまでも 間取図から感じた事です。
なぜ そんな事を気にするのかですが, もし 注文建築で 最初から オーディオ機材の採寸をして レイアウトやインテリアコーディネートをしていたのなら, 《スピーカーも好きな様に箱にユニットを入れたものだったのでは?》と感じ , みっち様のお考えに 私も同感だからです。
オーディオ機材は どこに どう置くのかのレイアウトや 部屋の構造も( RC造か木造か)大切なので 間取図から 大変気になりました。
又 素晴らしいマッキントッシュの機材等がありますが , 丸山 眞男様は 三島 由紀夫様のイメージと重なるところもある為 , そういう人が 一時の 安らぎを音楽に求めたのでしたら, 音質重視というよりも 単なる 音楽好きによる “音楽性重視型” の人であったのかナ...という印象を この写真と間取図から感じてしまいました。もっとも 展開図や設備図面(コンセント等)が もし あれば , 又 別の見方が出来たのかもしれないのですが....
大変 気になりましたので 他の角度から 間取図に 関心を持ち , 申し訳ございません。
あのぉ、失礼ながら、丸山眞男さんの自宅は、それほど力を入れて探求するほどのものではないような。(笑)
氏の蔵書は自宅近くの東京女子大に寄贈され、丸山眞男文庫として公開されています。この見取り図もそこから拝借したものです。昭和27年築の木造二階建て日本建屋、なんでも住宅金融公庫の融資と岩波書店からの印税前借りで建てたとのこと、豪奢な建物でも、数寄屋造りでもないです。もともとはこの応接間に隣接する書斎に、オーディオ装置があったようですが、ステレオ化にともなってここに移動したらしい。これはオーディオマニアのいわゆるリスニングルームではないのです。板張りの普通の(昭和の)洋間だと思いますよ。
音楽には造詣が深かったようですがオーディオマニアではなかったと思われます
録音好き、テープ好きな人にオーディオマニアは少ない、と勝手に思っているのです(^^ゞ
これも推測ですが、マッキンなどがあるということは、印税などが入った時に教え子の中野雄さん等のオーディオに詳しい人に相談して揃えたものではないでしょうか、どうでもいいことですが(^^ゞ
お騒がせした○○ですが、やっと思い出しました
「刷り込み」でした。
ヤフー・ブログの時代にブロ友さんなどが使っていてパスピエも使わせていただいていました。
みっちさんのような教養人は使わなかったかな?
>音楽には造詣が深かったようですがオーディオマニアではなかったと思われます
録音好き、テープ好きな人にオーディオマニアは少ない、と勝手に思っているのです(^^ゞ
はい、オーディオマニアでないのは明らかですね。どうしてそうかを説明するのは難しいです(笑)が、分かる人には分かると思います。
>これも推測ですが、マッキンなどがあるということは、印税などが入った時に教え子の中野雄さん等のオーディオに詳しい人に相談して揃えたものではないでしょうか
はい、丸山眞男氏はトリオ創業時代から、その製品を愛用しています。それは中野英男さんの「音楽、オーディオ、人びと」にも書かれていました。中野雄さんは、その長男で、ステレオ全盛期にトリオの役員を勤め、あとは音楽プロデューサー、経歴としては申し分ないのですが、あの「丸山眞男 音楽の対話」は不満でした。中野雄さんは、ワーグナーをあまりご存知ないようで、おそらくまともにワーグナーのレコードを聴かれたこともなかったのではないか、と思います。サヴァリッシュの「ローエングリン」バイロイトライブ1962年公演の録音がない、なんて平気で書かれています。これはPhilipsから発売され、当時ワーグナー好きなら誰しも手にした盤ですからね。これを読んで、みっちはそれ以降読む気力がなくなりました。この公演は、丸山眞男氏がワーグナーに開眼した決定的出会いなんですよ、それをこんな扱いでは、五味康祐じゃないけど、文字通り怒髪天を衝きました。お父上の英男さんなら、窓から本を投げ捨てるところです。(爆)図書館の本ですから、思いとどまりましたが。(笑)
>お騒がせした○○ですが、やっと思い出しました
>刷り込み」でした。
おーっ、刷り込み imprintingでしたか。
いや、思い出されて良かったです。(笑)
この単語はちょっとみっちのレパートリーにはないので、出ないのも当然でした。(笑)
サヴァリッシュの '62年の『ローエングリン』‥‥「映像はもちろん、録音も残ってはいないと思う。確認の方法はないのであるが、丸山を魅了し尽くした一九六二年夏の《ローエングリン》は、…」(113頁)
あっちゃー、ほんとだ。56頁には丸山自身のテクストの引用もありました。
これ:
https://www.hmv.co.jp/product/detail/5451002
ですね。LP時代、ワーグナーの全曲盤なんか買う可能性すら考えなかった私でも、Philips盤の存在は目録で見ていたかも。
中野氏の地の文と丸山の発言(信頼性に疑いは出ますが)とは分けて読んだほうが、と思いました。80頁~ の調性論などは、ドッグイヤーを折っています。
はい、こういうところを読むと「百日の説法も屁一つ」ですかねぇ。(爆)
「丸山眞男 音楽の対話」の最大の問題は、へうたむさんも云われているとおり、どこまでが丸山眞男が本当に語ったことなのか分からない、という点です。これはテープによる聞き取りなのでしょうか、あるいは中野雄氏の記憶のみに依っているのでしょうか、定かではありません。どうも、後者ではないかという気がいたします。そもそも「対話」は成立しておらず、談論風発などという雰囲気からは遠いのですから、せめて丸山眞男の言が正確に取られておれば、それなりの価値があったと思うのですが。アントン・シンドラーのベートーヴェン伝みたいなもの?、それよりもっとひどい?(笑)
唯一目に止まったのは、pp.252-256です。ここは別の座談録から発しているのですが、例の「古層」における執拗低音 Basso ostinatoと通奏低音 Basso continuoの違いを、丸山が明確に意識していたと分かる点です。
ただですね、これなどはちょいと気が利いた喩え程度の話であって、それを中野氏は例によって宴席のお大尽にへつらう太鼓持ちみたいに、『ただ、丸山眞男を論じ、その思想史学を辿る者にとって、《執拗低音》という耳慣れない音楽用語の理解が必須の道筋であることを、私はこの際強調しておきたい。この言葉の正確な理解を抜きに、丸山思想史学や、その方法論を語ることはできないだろう。』とかやっているのは、持ち上げ過ぎで、失笑を誘います。
又 昭和27年といえば , 昭和天皇が 全国を慰労の為に アチコチまわっていらっしゃった頃ですので(S27~29年) , その頃に こうして 注文建築で戸建てを建てられる人というのは 非常に 幸せで 極限られた方だったはずです。
それを考えると やっぱり 凄い人なんだなと 私は感じております。
オーディオ機材を具体的に調べるには 家の造りは 大事なポイントと思っていまして, 写真だけではなく 間取図を載せて頂いた事は 非常に良かったです。詳しく載せて頂いて 有難う御座います。
昭和天皇の戦後巡幸といえば、昭和21年に始まり26年までに、北海道を除く全46都道府県を回られたことを指します。むろん、このとき沖縄は日本の統治下にはなかったので、含まれていません。
北海道巡幸が昭和29年まで延ばされたのは、治安上の理由、具体的にはソ連の脅威があった、という話です。事実かどうかは分かりませんが、昭和天皇の会話、『私が行けば北海道を何かの時見捨てぬといふ証拠に…』云々、が残されています。
あと「妃殿下」という称号を、香淳皇后を指してお使いでしたら、それは誤りです。

