ブルックナーの問題の手紙を邦訳してみます、の巻。 |

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2025年 05月 17日
![]() 『 バイロイトのハンス・フォン・ヴォルツォーゲン宛て 最も価値ある男爵様! それは1873年9月の初めごろ(フリードリッヒ皇太子がその時バイロイトにお見えでした)、私がマイスターに私の2番Cマイナーと3番Dマイナーをお見せしてよいかとお願いしたときでした。 あの亡くなられた偉大な方は時間がないからと断られました(劇場建設のため)そして云われるには、今は楽譜を調べる時間がない、ニーベルンゲンでさえ脇に措かねばならない状態なのだと。 私は答えました、「マイスター、私は1時間の1/4でさえ貴方から奪う権利はございません、でも私が思いますに、マイスターの鋭い考察を持ってすれば、一目テーマをご覧になるだけで、マイスターにはそれがどのようなものか知るのに十分でありましょう。」 するとマイスターは私の肩を叩いて、云われました、「じゃあ、入りたまえ」彼は私とサロンに入り、第2交響曲を眺めました。 「とてもいいね」と彼は云いましたが、それは彼には少しばかり大人しすぎた《zu zahm》ようでした(ウィーンで私は最初とても圧倒されていた《ganz zusammengeschreckt》からです)、そして彼は第3番(Dマイナー)を手に取り、こう云われました、「なんと、なんと、こんなことが!」そして彼は7番目のセクション《Abtheilung》全体を見終わると(かの偉大な方はトランペットを特に指摘されました)、そしてさらにこう云われたのです、「この作品をここに置いていきなさい!私は昼食のあと《nach Tisch》で(もう12時でした)もっと詳しく調べてみるつもりだ。」 ここでお願いをしてよいものだろうか、と私は考えました、そのようにかのワーグナー《der Wagner》が私をうながしていたのです。恥らいながら、心臓をどきどきさせて、私は愛すべきマイスターにこう云ったのです、「マイスター!私は心のなかに申し上げたいことがあるのです!」マイスターは云われました、「話してみたまえ、私が君のことが好いているのは分かっているだろう。」 そこで私は《献呈の》要望を述べたのです、もちろんマイスターが少なくとも何かしら満足した場合に限っての話です、私は彼の偉大な名前を貶めたくはなかったのです。 マイスターは云われました、「君をヴァーンフリート邸に夕方5時に招待する、そこで会いましょう。私はそれまでにDマイナー交響曲を注意深く調べておこう、この《献呈の》件についてはその後で話しをしよう。」 私は《これも建築中のバイロイト祝祭》劇場からヴァーンフリート邸に5時ちょうどに着くと、マイスターの中のマイスターは腕を広げて私を迎え、祝福して、こう云われた、「親しき友よ、献呈は全く問題ない、この作品は私に途方もない喜びを与えてくれた。」 2時間半のあいだ、私は幸運にもマイスターの隣に座り、彼はそこでウィーンにおける音楽状況を議論し、私にビールを勧め、庭を案内し、彼の墓まで見せてくれたのです。そして私ははなはだ光栄なことに、マイスターと自宅まで同行する羽目(というよりは、そうすることを許された)になったのでした。 翌日彼は私の旅の安全を祈ってくれて、「トランペットがテーマを始めるところ」と付け加えてくれたのです。 ウィーンでも、バイロイトでも、彼はしばしばこう云われました、「あの交響曲はもう公演したのか?公演したまえ、公演したまえ。」 1882年にマイスターは、その頃にはもう病んでおられましたが、私の手を取ってこう云われました、「信じて欲しい、私は自分であの交響曲とすべての君の作品を公演するよ。」私は、「おーっ、マイスター!」と云いました、それに答えてマイスターは、「パルジファルはもう見たかね?あれをどう思う?」と訊かれました。偉大な方が私の手を握っていたので、私はひざまずき、彼の手を口に当て、キスをして云いました、「おーっ、マイスター、私は貴方を崇拝します!」マイスターはこう云われました、「もっと冷静になりたまえ、ブルックナー君、おやすみ!!!」これがマイスターが私に云われた最後の言葉でした。翌日、私はマイスターからもう一度お叱りを受けましたが、彼はパルジファルの公演中私の後ろに座っていて、私があまりに騒々しく拍手喝采したときでありました。 男爵閣下、どうかこのいきさつに注意を払ってください! 私のもっとも愛しいレガシーであります!!!、これを天国にまで持って参ります!!! ああっ、私の胃腸がもっとまともなら《Mein Magen》!!! 男爵閣下へ 感謝を込めて、A.ブルックナー、自筆《m. p.》 』Anton Bruckner, Sämtliche Werke 24. Briefe II: 1887-1896. Edited by Andrea Harrandt and Otto Schneider †. Wien 2004, p. 119-20. 910211/2. -----以下解説というか覚えです----- 手紙本文中で、()は原文にある注記、《》はみっち注記です。 1873年9月の初めごろ(フリードリッヒ皇太子がその時バイロイトにお見え:前記事に書いたように、これは1873年9月13日、14日です。 7番目のセクション《Abtheilung》:明確ではないのですが、Abtheilungは小節ではないです。最初の版のスコアの7ページは第46小節までなので、あるいはこのことかも。 昼食のあと《nach Tisch》:逐語的には食事後ですが、時間からして昼食後となります。この頃(今でもそうか?)のドイツではちゃんと調理された食事は1日1回昼食のみです。夕食は簡素なもの(冷肉とか)になります。ですから、ブルックナーのもてなしにもビール以外はたいしたものはなかったと推察します。 蛇足ですが、ワーグナー家の食事は質素だったのではないか、と想像します。指揮者ティーレマン氏の回想でも、公演後の宴では、『ソーセージ・サラダ Wurstsalat がいつも目玉だったのである。私はソーセージ・サラダが好きではない、しかしまったくのところ、テーブルにあるのはそれが全て…』、とあります。(爆) かのワーグナー《der Wagner》:Wagnerに冠詞がついてるのが凄いです。古風か?英語ならthe Wagnerとでも。 ヴァーンフリート邸に夕方5時に招待:ヴァーンフリート邸はまだ工事中で、一部使用可能の状態、ワーグナーはダムウアレー7番地にあったアパートメントハウスに住んでいました。 マイスターと自宅まで同行する:ダムウアレーのアパートメントへ帰ったのだと思います。 あの交響曲はもう公演したのか?:ブルックナーの交響曲第3番の初演は1877年です。ブルックナー自身の指揮、演奏はVPO、大変な不評で、観客は皆途中で退席し、残ったのは彼の支持者だけであったとのこと。その支持者の一人はグスタフ・マーラーです。 パルジファルはもう見たかね?:パルジファルの世界初演は1882年7月26日です。ああ、そして例のパルジファルの拍手問題が出てくるのです。そうか、ブルックナーも大喝采してたんだな、面白いです。(笑) ああっ、私の胃腸がもっとまともなら《Mein Magen》!!!:一種の自虐ジョークかと思います。 A.ブルックナー、自筆《m. p.》:m.p.はラテン語 manu propria の略、「自身の手による」の意。なお、この手紙に日付はありませんが、男爵からブルックナーへ宛てた手紙が1891年2月11日付けであり、その返事ですので、これからそれほど遠い日付ではないと思われます。ブルックナー(1824-1896)、ワーグナー(1813-1883)です。 以上です
by mitch_hagane
| 2025-05-17 13:05
| 3.音楽
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