マーラーの交響曲第2番「復活」の第5楽章の歌詞について、思い切り異説を唱えてみます、の巻。 |
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2021年 08月 29日
でも今日はどうしても書いてみたいのです。何故って、このマーラーの交響曲第2番「復活」の第5楽章の歌詞で、世にある邦訳は、みな頓珍漢である(笑)としか思えないからなんです。たとえば、ウィキペディアですね。ここにその項目のリンクを貼っておきますけど、あなたはこの邦訳を読んで、意味が分かりますか? このドイツ語自体はさほど難しくはない、でもまずは、この詩を理解するために、目の前の舞台とその登場人物を想定する必要があります。単なる字義解釈だけで片付けようとするから、この詩の意味を正確に理解するのが難しいのです。なんか偉そうなことを書いてますが、お許しください、以下はみっちが自分で考えた末の結論なんです。 まず、目前には英雄の亡骸があります。すでに事切れて、骸となって久しい。これは多分第1交響曲「巨人」で苦闘の末、斃れた英雄です。それを取り囲んで、英雄の死を慨嘆し、その復活を乞い希う「私」と、その同調者「私たち」がいます。英雄を崇拝する人たちと云ってよいでしょう。そして、もちろん「神」がおられます。「神」はむろん唯一神であり、3人称で表されます。登場人物はこれだけです。 さて、詩はまず「私」の視点から始まります。「汝du」は英雄です。また「わが塵よmein Staub」ですがこれは「私」から英雄への呼びかけです。決して、自分のことを云っているのではありません。英雄が生きているときだったら、「わが英雄よmein Held」となっていたところでしょう。でももう死んでいるから、塵Staubなんです。後の節で「わが魂よmein Herz」というのも出てきますが、これも「私」から英雄への呼びかけです。もう復活した後の節だから、塵じゃないんですよ。 「 Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du, mein Staub, nach kurzer Ruh'! Unsterblich Leben! Unsterblich Leben will der dich rief dir geben! 復活する、そう、復活するだろう、汝は、 わが塵よ、短き休息のあとに! 永遠の命よ!永遠の命よ 汝を召喚したお方が汝に与えるだろう!」 最後の行の「お方der」は指示代名詞です、むろん神を指します。 「 Wieder aufzublüh'n wirst du gesät! Der Herr der Ernte geht und sammelt Garben uns ein, die starben! 再び花咲くために汝は種を撒かれる! 収穫の主は行き そして刈り取った束を集める 我等は一つになる、死んだ者たちが!」 「収穫の主」はもちろん先ほどの神と同一です。「我等uns」は複数形ですけど、英雄と私の2人で複数なのか、私が複数いる(私たち)のか不明です。まぁ、どちらでもよいでしょう。 「 O glaube, mein Herz, o glaube: es geht dir nichts verloren! Dein ist, ja dein, was du gesehnt, dein, was du geliebt, was du gestritten! おお信じよ、わが魂よ、信じよ 汝は何も失っていない! 汝は、そう汝は、汝の望むとおりのものであり、 汝は、汝が愛したものである 汝が戦ったものである!」 ここで「わが魂よmein Herz」が出てきました。これは私から英雄への呼びかけです。自分の魂のことではありません。 「 O glaube, du warst nicht umsonst geboren! Hast nicht umsonst gelebt, gelitten! おお、信じよ、 汝は無為に生まれたのではない! 無為に生きたのではない、 無為に苦しんだのではない! Was entstanden ist, das muss vergehen! Was vergangen, aufersteh’n! Hör' auf zu beben! Bereite dich zu leben! 創造されたものは 死なねばならず、 死したものは、再び立ち上がる! 震えるのを止めよ! 生きる準備を成せ!」 さぁ、ここからは視点が変わります。今までは「私」から英雄を見た視点だったのですが、ここからは英雄自身の1人称視点となります。 「 O Schmerz! Du Alldurchdringer! Dir bin ich entrungen! O Tod! Du Allbezwinger! Nun bist du bezwungen! おお、苦痛よ、全てを突き刺すものよ、 お前から、わたしは自由になった! おお、死よ、全てを征服するものよ、 今や、お前は征服された!」 ここで「わたしich」は英雄自身です。 「 Mit Flügeln, die ich mir errungen, in heißem Liebesstreben, werd' ich entschweben zum Licht, zu dem kein Aug' gedrungen! Mit Flügeln, die ich mir errungen, werde ich entschweben! Sterben werd' ich, um zu leben! わたし自身が得た翼もて、 激しい愛に駆られて、 わたしは飛び立つ! どんな目も到達したことのない光へと向かう! わたし自身が得た翼もて、 わたしは飛び立つ! わたしは生きるために死ぬ!」 「翼もてMit Flügeln」は単なる修辞句ではないです。後節に関係します。 また、ここから最後の節へ入りますが、再び「私」から英雄を見た視点に戻ります。 「 Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du mein Herz, in einem Nu! Was du geschlagen zu Gott wird es dich tragen! 復活する、そう、復活するだろう、汝は、 わが魂よ、一瞬の間に! 翼を羽ばたかせることが 神のもとへ汝を運ぶだろう!」 「わが魂よmein Herz」が再び出てきました。これも「私」から英雄への呼びかけです。また「神Gott」とついに「神」と呼ばれます。 なお、「Was du geschlagen」の行で、schlagenの解釈が問題です。schlagenって、英語ならto beatあるいはto hitあたりなので、「心臓が鼓動する」あるいは「(死に)打ち勝つ」というものが今までの解釈のようなのですが、いずれも頓珍漢であると思います。まず心臓鼓動説は論外でしょう。また死に打ち勝つと読むのは、字義だけではなく、この場の情況からも変です。何故なら「復活」は神の御業であり、英雄が自分で努力して勝ち取るものではないからです。 このschlagenですが、みっちは「mit den Flügeln schlagen」と読みます。つまりschlagenは(翼で)羽ばたく、という意味です。英語ならto flapです。辞書にも載っています。またFlügelnはちゃんと前節に出てきています。翼があるので、神のところへ飛んでいけるのです。 はい、こんなところで、みっちのマーラー交響曲第2番「復活」の第5楽章の歌詞読み解きはお終いです。とても愉しめました。はぁ、K先生がご存命だったら、ご意見をお聞きしたいところです。先生は何と云われるでしょうか。「劣等生にしてはまぁまぁかな」と見えすいた世辞を云うか、あるいは「そんなバカなことはしてないで、一丁将棋でも指そうぜ」くらいでしょうか。何だか後者の方が、みっちは嬉しい感じがいたします。 以上
by mitch_hagane
| 2021-08-29 09:52
| 3.音楽
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