『ヨハネス・ブラームスを例に取ってみましょう。彼はハンブルクに生まれた、いわゆるハンブルクの作曲家です。そこでハンブルクのオーケストラは、この事実から彼らの解釈の正当性を主張するのですが、ウィーンのオーケストラは、ブラームスはハンブルクに耐えられなくなってウィーンに逃げてきた人なのだから、本当のブラームスはウィーンでしか聴くことはできないとの見解に立っています。
...今日に至るまで、私はウィーンのブラームスがハンブルクのブラームスより正しい、あるいはその逆であると断言することはできません。』
音楽と我が人生、ウォルフガング・サヴァリッシュ著、真鍋圭子訳、pp244
みっち注:サヴァリッシュは1960年からウィーン交響楽団の常任指揮者、また1961年からは、ハンブルクの国立フィルハーモニー管弦楽団(今のハンブルク・フィルハーモニカー)の音楽総監督兼常任指揮者を兼ねておりました。ですから、このブラームスの解釈に関するハンブルクとウィーンの違いについての指摘は、なかなかに重いです。
事の発端は、現在Deccaレーベルで発売されている、「The Art of Wolfgang Sawallisch」というCD14枚組の廉価ボックスセットなんです。このボックスのことは
以前の記事で紹介しておりますが、みっちにとって、それはサヴァリッシュがシュターツカペレ・ドレスデンと録音したシューベルトの交響曲全集を聴くためのものでありました。なお、サヴァリッシュがこの時代にシュターツカペレ・ドレスデンと録音したのは、あとシューマンの交響曲全集がありまして、この全集の録音品質については、べつの
過去記事で話題にいたしました。
今回は、その話ではなく、当該ボックスに含まれていた、ウィーン交響楽団とのブラームス交響曲全集なんです。録音日時が古い(1959年から1963年、オーストリアで録音とあります)こともあって、今まで等閑視しておりました。
それが、たまたま先日聴いたのです。思わず居住まいを正しました。(笑)聴いたのは第2番(1959年1月録音)でしたが、その平明で伸びやかな演奏に思わず聴き入りました。これは素晴らしいです。そして、音も案外よい。
まあもちろん、音質のほうは当時のPHILIPSですから、シューベルト交響曲で聴けたエテルナ(そしてルカ教会)の美音とは比較になりません。でも、相当いいです。少なくとも、鑑賞の妨げにはなりません。ああっ、今までうっちゃらかしていたのは、みっちの不明でありました。(汗)
さて、本記事冒頭に引用した文章は、サヴァリッシュがウィーンとハンブルクの違いを述べたところなんです。そうなると、ウィーン交響楽団の美音のブラームスを聴いたあとで、ハンブルクの「渋い」ブラームスと比較したくなります。そうそう、ハンブルク・フィルハーモニカーのブラームスといえば、シモーネ・ヤングさんのブラームス交響曲全集、これは
過去記事でも取り上げておりました。さて、どうか。
『この二つのオーケストラを聴いた人の誰もがそれに気づいたわけではない』(汗)サヴァリッシュ前出より。
う~ん、どうも、みっちにはまともな感性は備わっていないようです。指揮の違い、オケの違いは観取できますが、それをハンブルクとウィーンの差まで敷衍するのは難しいです。(汗)しんしんと、秋の夜長は更けてまいります。(爆)
記事冒頭の画像は、ネットで拾った、たぶん初出ではないかと思われるサヴァリッシュ/ウィーン交響楽団「ブラームス交響曲第2番」PHILIPS盤LPのジャケットです。これって、初出の時から、たぶんミッド・プライスの廉価版扱い(?)だったのではないかと思われます。PHILIPSにとって、サヴァリッシュはその程度の指揮者だったわけです。サヴァリッシュは、このときのPHILIPSとの専属契約を『私の長い経歴のうち、後でひどく後悔することとなった数少ない契約のひとつ』と振り返り、『これほど顕著に誤った判断を下したことはほかにはない』と評価しています。