カール・ベームさん、あなたの評判、あんまり芳しくないんですけど、の巻。(笑) |

そういう意味では、ブログ主さんのベルリンフィルとのモーツアルトこれじゃない感とは通じるものがあるのかな?
ベームのガミガミ煩いリハーサルは、色々なところで見たり読んだりしますね。自分はほとんどドイツ語聴き取れないのですが、ベームの出身はオーストリアでも田舎のほうで、発音も語彙もかなり田舎くさい古臭い、いわば田舎のおっさんそのものの気がします。いかにも品の良さそうなワルターとは大違い? 都会育ちや育ちの良い者が、あの感じで駄目だしされると、いたくボロクソに言われたように感じるんじゃなかろうかと、ベーム怖い説はそのへんが原因と考えております。
一つ訂正です。
歌手が自分の方を見ていないと、テンポを変えてしまうというのは、アストリッド・ヴァルナイの自伝にあった話でした。
デュッセルドルフにおける「エレクトラ」公演の時です。(後年の映画版「エレクトラ」とは別)
『もし誰かがそんな位置(ベームが見えなくなる位置)に移動すると、彼はただちにテンポを変えてしまうのです。私にはこれがそれに対する癇癪によるのか、それとも見られていないことへの無意識の反応なのか、分かりませんが、10回のうち9回はそうしたのでした。』
まあ、レオニー・リザネクみたいに、ベームさんとうまくやって行けた人もいますからね。なかなか本当のところは分からないものです。
それでも指揮者として、私の中ではワルターと並ぶ「圧倒的な存在」であることは不動というのは、なんとも不可解なことです。彼の作り出す「音」の不協和な有機性と、音楽の起伏が私の体内にある「音楽を聴く呼吸感」と一致しているということなのでしょう。
みっちさんがネタにされているBPOとのモーツァルトにしても、曲単体としての魅力を出し切っているかといえば疑問です。録音にも冴えがない。ところが全集を構成する一つと考えると、たちまち存在感が増して、この世に不可欠な音楽として聞こえてくるのです。
はい、音楽ライブラリーを構築する上で、やはりベームさんは欠かせぬ人です。
みっち的にはオペラ、その中でも、何と云ってもリヒアルト・シュトラウスのオペラです。
それだけに、これだけプリマたちからの不評というのは、ちょっと意外です。
ただ、リヒアルト・シュトラウスは一筋縄ではいかぬ複雑な男ですが、どうみても女性受けのする人ではなかったと思われます。その彼とよく馬が合ったベームさんは、似たところがあったのかもしれません。
アンチ・カラヤンの拠り所
ベームで一番感動したのはウィーン・フィルとのブラームスの一番、それに「田園」
ウィーン・フィルと来日した時のコンサートをテレビで見ていましたが、あれは本当に素晴らしかったです
ただLPやCDで聴くベームはその良さが分からなかったというのが正直なところです
(最近、晩年のウィーン・フィルとの録音はいいなと思っています)
ベームは実演で本領を発揮するとよく言われていましたが、その通りかと思います。私がベームというと真っ先にあげてしまうのは1970年代後半のウィーン・フィルとのブラームスの2番と4番の交響曲、NHK-FMで放送されたものををエアチェックしたものになってしまいます。
それから故吉田秀和氏、そして中野雄氏も、ベームは内容の濃い作品ほど面白くないということを書いていましたが興味深いところです
日本では、ベームのファンの方が多いので、言葉を慎重に選ばねばなりません。(笑)
海外における現行盤CDの数で、指揮者の人気を占いますと、大体こんな感じです。
1位:カラヤン
2位:バーンスタイン
このお二人がダントツです。
だいぶ離れて、
3位:アバド
4位:ショルティ
5位:ベーム
6位:バレンボイム
7位:ハイティンク
8位:フルトヴェングラー
9位:メータ
というところ。
この中からみっちの好みといいますと、アバド、バレンボイム、それに曲にもよりますが、カラヤン、バーンスタインかな。(ミーハーです...笑)
私も、国内盤LPの音のマズさを感じるにしたがい、ベームに限らず、国内盤全般に落胆してゆきました。
この1枚、母が買ってきて、定番としてうちにありましたが、音はさておき、他を知らぬこともあってか、なかなかいい演奏だと感じていました。
第3楽章のトリオなどもとてもよかったと思い、数年前に ORIGINALSの2枚組(後期六大交響曲)でCDを買いました。
裏の『ジュピター』は、今もってレコ芸『Readers' Choice』では1位の人気です。
中野 雄氏の言でも、ベームの人気は死後衰退し、生前からオケ、共演者の人物評は芳しくなかったとありますね。
口うるさいリハーサルから、トスカニーニやムラヴィンスキーのような‘神的輝き’が生まれるならいざ知らず、技術的な正確さの完遂に終わればそうなるのも致し方ないということでしょうか。
けれど、59年のBPOを振ったブラームス1番は大名演だと思いますし、バックハウスとのコンチェルトは今後も愛聴しそうです。
晩年のウィーン・フィルとのスタジオ盤は、モーツァルトの管の協奏曲やレクイエムは名盤ですが、ベートーヴェンとブラームスの交響曲全集は、“オーストリア観光局公認絵葉書”のような雰囲気がもの足りず、手放しました。
>国内盤LPの音のマズさ...
海外盤は、おしなべて国内盤より勝っていましたが、特にDGG盤は音だけでなく、写真の鮮明さ・ジャケットの作り・内袋の出来・匂い(笑)に至るまで、全て国内盤を凌いでおりました。
>ベームの人気は死後衰退...
日本ではひところ、ちょっと過熱しすぎましたね。
みっちは決してベーム反対論者ではなく(笑)、例えばリヒアルト・シュトラウスの「影のない女」1955年Decca盤は、音楽演奏史上にも燦然と輝く、天下の名盤と思いますし、彼の「影のない女」では同じく1955年のライブ盤、1974年、77年のライブ盤も、手元に置かざるを得ません。もちろん「ナクソス島のアリアドネ」でも名盤数々ということで、外せない人ではあります。
>“オーストリア観光局公認絵葉書”のような雰囲気...
う~ん(笑)
ベームは、インタビューで「なぜあなたのレコードは詰まらないのか?」という質問を受け、「それは演奏の設計図を記録するものだからであり、反復聴取するためのものだからだ。フルトヴェングラーのレコードだってそうだろう。実演は実演、録音は録音だ」というような趣旨のことを言っていたように思います。彼は2回通して演奏して、オシマイ、あとは編集者任せというスタイルだったようです。
ともあれ、私は、ベームのファンですし、彼の商業録音は、ほとんど持っていません(モーツァルトの交響曲全集=詰まらない、第九=詰まらない、レクイエム=素晴らしい、ブラームス第一=素晴らしい 多分、以上)。
何年か前にテレビのBGMで流れていたブラ1が素晴らしく、でも誰の演奏かわからず、再放送をたまたま見て、それがベームだった時の驚きと納得ときたら。そう、あれだけキレキレで荒ぶるとすれば、それはベームかケーゲルしかおりますまい。
ですから、ベームの商業録音は詰まらないというご意見には賛同します。しかし、私は当時ラジオなどで聞いていたベームの演奏はやはり素晴らしかったと思います。ザルツブルグのブラ4など、拍手と足踏みが凄かったように記憶しています。
録音を通じて聴衆に訴えかけ、音楽の楽しさを伝えて行こうとする演奏家もおりますが、B-むはそういうタイプではなかったように見えます。
どうも、みなさん、カール・ベームさんの実演を推す向きが多いようですねぇ。
>それは演奏の設計図を記録するものだからであり、反復聴取するためのものだからだ...
これはなかなか意味深いです。
>私は、ベームのファンですし、彼の商業録音は、ほとんど持っていません...
おーっ、明快ですね。
>当時ラジオなどで聞いていたベームの演奏はやはり素晴らしかった...
みっちはベームさんのライブ・レコーディングをほとんど持っていない(オペラを除く)ので、今度一度聴いてみましょう。
>全身全霊を傾けての演奏は何度聞いても感動します...当然、感受性を異にする人々が存在しているのですから、みっちさんのような感想を持つ方もいていい...
拙ブログの記事は特に含むところのない、まったくの本心からの感想なんですが、このようなご指摘を受けると汗が出ます。ご配慮ありがとうございます。
>ちなみにベルリンフィルとのブラームスの二番はいかがでしょうか...
これはまた、新たな試練ですなぁ。それも、ベルリン・フィルで、ブラームスの2番ですか、1番ではなくて?
となると、1956年12月録音のDGGモノーラル盤のことなんでしょうか。スタジオ録音盤はこれくらいしか知りませんが、残念ながら未聴です。(大汗)
かねてから、ベームさんは、50年代がいいなと思っています。(たとえばDecca1955年の「影のない女」など)当該盤も、こんど機会があれば、入手して聴いてみましょう。
全部時代です。逆にその後もそれを続けたマルケヴィッチは、その圧倒的な才能と人気にもかかわらず出世しませんでした。(彼は性格がね。多分戦争中はパルチザンの大将で沢山殺めたんでしょう。そういう音楽。)
ベームさんはリズムが見事。ご提示のモーツアルトは、「リズム処理がトスカニーニをも上回る」と激賞されたもんです。モノラルのほうのベートーベンもです。晩年のウィーンとやったのは、どれもなんだか普通になってしまって。
マルケヴィッチはバイロイトを公演前に首になっています。歌手から文句が出たとか。あのむちゃくちゃサディスティックで完璧主義のやり方ですから、オケメンには一応は通用しても歌手はついていけなかったんでしょうね。
ベームさんは歌手にもギリギリ許される程度の厳しさだったんでしょうね。
カメラだけでなく、クラシックにもお詳しいんですね。
>マルケヴィッチはバイロイトを公演前に首になっています。歌手から文句が出たとか...
はい、1954年のタンホイザー(新バイロイトでの初公演・新演出)ですね。事前のパンフには載っていて、実際のプログラムには登場しませんでした。
ヴォルフガング・ヴァーグナーの回想録「Acts」には、その事情が語られています。まぁ、これが本当かどうかは分かりませんけど。
いちおう、それに依りますと、合唱(特に第2幕の大行進曲)シーンでのステージとオケのコーディネイションについて、ヴィーラント・ヴァーグナーと意見が対立したようです。
7月16日のリハーサルにおいて、遂に決定的に対立が明らかになり、どうしようもなくなりました。そこで、マルケヴィッチの降板は避けられないとなり、彼の奥さんに相談して、適当な言い訳(ぎっくり腰です−笑)を考えてもらった、となっています。
その結果、ご存じのとおり、カイルベルトとヨッフムの2人が指揮しました。これについても、色々いきさつが書かれています。音楽的な話ではないです。(笑)
初めまして。
おやずいぶんお怒りですね。ベームの音楽的業績、特にオペラにおける貢献には、疑問を持っている人は少ないでしょう。ただ、人間的に完璧な人であったか、という点には、相当に疑念が残ります。
>ベームは戦前においても オーストリア音楽総監督で在り…
これは知りませんでした。1964年に Berufstitel Generalmusikdirektor の称号をもらっているのは承知しているのですが、戦前ではいつもらったのでしょうか?
最初に聴いたCDがアーノンクールだったからかしら、と思ってネットでカラヤンを聴いてみたら鳥肌ものでした。
本当にベームの評価は正しいのか私がおかしいのか、不安になって検索したらこちらにたどり着いた次第です。
同じように感じておられる方がいて安心しました。
なるほど、言葉は慎重に選ばなきゃいけませんね。
きっとみっちさんも私も、初ベームはブラームスあたりを最初に聴いていればもう少し印象が違ったかもしれない…なんて思っています。
モーツァルトは人を選ぶというか…ピアノでもそうですが、なかなか素晴らしいモーツァルト弾きに出会えません(^_^;)
はい、自分で感じたものが全てだと思います。ネット上の評判などは云うに及ばず、掃いて捨てるほどある名曲・名盤・決定盤本のたぐいは、早々に資源ごみに出したほうが賢明だと前から思っております。(笑)
ストリーミング配信が当たり前となり、日本のクラシック愛好家にも浸透しつつあるようです。これですと、「自分で聴いてみる」のが容易ですから、よいことではないか、少しは変わるのではないか、と期待しますね。
モーツァルトのピアノ曲は、最近はグルダを聴いています。
はい、みっちの意見は記事・コメント内に書いたとおりで、今も特に変わっておりません。
コメント欄で頂いた各位の意見には、同じものはなく、千差万別ですね、それはまぁ当然のこと、それでよろしいのではないでしょうか。

