ジャーメイン・ルービンの数奇な人生を追ってみる、の巻。 |

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2017年 12月 03日
![]() 前々回の記事で扱った、ランフランコ・ラスポーニ「最後のプリマ・ドンナたち」からの紹介です。 最初はジャーメイン・ルービン(1890-1979)を採りあげます。ラスポーニは1978年にルービンにインタビューしたそうです。場所はパリ、ヴォルテール街にあった彼女の瀟洒なアパートメントです。ヴォルテール街というと、パリのど真ん中、セーヌ川を挟んで対岸はルーブル宮とチュイルリー庭園、凄いところですね。 イギリスの戦前の大歌手エヴァ・ターナー(1892-1990)がインタビューに答えて、こう語っています。 『私の時代には、3人のそれは素晴らしいイゾルデ歌いがおりました。その中で、どの歌手が一番かなんて、とても言うことはできません。ライダー、フラグスタート、そしてルービンですからね。どの歌手も独自の解釈を持ち、誰もが大変に感動的で、確固とした存在だったのです。』 う~ん、キルステン・フラグスタート(1895-1962)のイゾルデ役は、戦後のフルトヴェングラーとのEMI盤スタジオ録音(1952年)があります。超有名盤でして、まあこれを知らないワーグナー・ファンというのは、モグリと言われても仕方ないでしょう。すでにキャリア末期に達していたフラグスタートの歌唱は十全ではありませんが、全盛期を彷彿させる魅力に溢れています。 フリーダ・ライダー(1888-1975)は、みっちの過去記事では何回か扱っています。戦前の活躍が主で、よい録音が残っていないのが残念です。彼女は1945年7月に、戦禍で荒れ果てたベルリンのアドミラルパラスト劇場(国立歌劇場はここを仮住まいにしていた)の前に立ったとき、エルンスト・レーガルから強く、オペラへ、ドラマティック・ソプラノへの復帰を乞われたのですが、「すでに私の歌手人生は終わった」と固く固辞して、そのままとなっています。(彼女の自伝「Playing my part」pp198より) さて、それではジャーメイン・ルービンはどうだったのでしょう? たとえば、Frederic Spottsの「Bayreuth: A History of the Wagner Festival」(1994)なんかを見ても、ルービンのことはただ一言だけ、「フランス人でヒットラーの崇拝者a French admirer of Hitler」なんてあるだけです。 みっちのブログの過去記事をあたると、ハンス・ホッターの記事で、ルービンに触れたのがありました。 ここです。『Lubinは戦後、ナチスに協力したとして、財産没収の上、追放される。のち名誉回復されるが、このため戦後の活躍はない』これに尽きるのですが、まずはYouTubeにアップされている、彼女の歌唱、それもイゾルデ役の歌唱を聴いてみましょう。 はい、どうでしょう。フラグスタートの歌唱が、パワフル・透明・高貴とするなら、ライダーは暖かくてリリカル、これは好対照なんですが、さてルービンは、どう評したらよいのでしょう、みっちには英語ですがseductiveという単語が浮かびます、日本語で「魅惑的」というよりは、もっと性的な感じのする表現です。「蠱惑的」なら近いかもしれません。 なお、このYouTube動画のキャプションには、1937年とありますが、これは1939年の誤りでしょう。 ヴィニフレート・ワーグナーがバイロイト音楽祭を仕切ったのは、1931年から1944年までですが、このうち「トリスタンとイゾルデ」の公演があったのは、1931年、1938年、1939年の3回だけです。指揮者はそれぞれ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、カール・エルメンドルフ、ヴィクトル・デ・サバタでした。 ですから、このルービンの動画がデ・サバタとのバイロイト、それも「トリスタンとイゾルデ」の録音となると、1939年の録音に違いありません。 ルービンは1938年のバイロイトでは、フランツ・フォン・ヘスリンの指揮でクンドリー役を歌い、1939年にはヴィクトル・デ・サバタの指揮でイゾルデ役を歌っています。ヒットラーは1933年から1939年まで毎年夏にバイロイトを訪れています。ですから、1938年と39年の2回、ルービンはヒットラーと会っています。これについて、ルービンはインタビューの中で、詳細を語っていますが、まぁ正直なところ、たいして面白い話ではありません。 ともあれ、戦争が終わった後、ルービンはナチへの協力を責められ、逮捕されて、収監されます。 ルービンは語ります。「およそ、子供の肉を食べた以外の、あらゆる罪で私は告発されました。...突然、私はリッベントロップからデーニッツ提督、それにヒットラーに至るあらゆる人の愛人に擬せられたのです。」 「30年以上も一心に奉仕したオペラ座から、年金一つもらうこともなく、放逐されたのです。それでもまだ不十分だというように、私は5年間の「非国民dégradation nationale」を宣告されました、そして財産の大部分を差し押さえられたのです。音楽学校はどこも私を教師として雇おうとはしませんでした。さらにフランス国外で歌おうとすれば、パスポートを拒絶されたのです。ジュネーブの劇場がそこでタンホイザーに出るように契約を送ってくれました。しかし、出国の許可は得られませんでした。」 そんな中で、彼女は1950年から、リサイタルで歌曲を歌うことに活路を見いだします。だが、それがそこそこの成功を収めかけた1953年に、愛する息子クロードが自殺します。このショックで、それ以降彼女は二度と歌手として舞台に立つことはありませんでした。 一方、彼女は若い歌手を指導するようになります。 レジーヌ・クレスパンにマルシャリン役を、スザンヌ・サロッカSuzanne Sarrocaにオクタヴィアン役を教えます。いずれもリヒアルト・シュトラウスの「バラの騎士」の役柄なんですが、おそらくこれはフランス語で歌い、指導したのだろうと思います。 みっちの過去記事にも書きましたように、クレスパンは1958年にヴィーラント・ワーグナーのオーディションを受けていますが、このときはまだドイツ語で歌えなかったようですから。 ルービンは裁判で戦い、潔白となって名誉と財産を取り戻しますが、それには10年間を要したのでした。 『オペラ座には良く行っておりました。ある夕べのこと、座席が奥でしたので、仕方なく、人をかき分けて入らねばなりませんでした。誰かが私を認め、名前を口にしました。すると周囲の人たちから、私を歓迎する拍手が自然に起こったのです。ですが、私はその時、全く何も感動できませんでした。そうした行為が大切だった時には得られず、得られたときには、もうすでに遅すぎたのです』 ルービンは、戦後にフラグスタートがフルトヴェングラーの指揮で、ミラノで歌ったのを聴いたそうです。 ああっ、これは、有名なスカラ座の1950年「ニーベルングの指輪」公演ですね。ルービンは、この歴史的公演の聴衆の一人だったわけです。 『忍び寄る歳月にもかかわらず、彼女(フラグスタート)は依然として輝いておりました。フルトヴェングラーも見事でした』 このときルービンの脳裏には、ドイツ占領下のノルウェーに帰国したフラグスタートや、ドイツにとどまったフルトヴェングラーへ浴びせられた、激しい非難のことが浮かんでおりました。 ルービンのフラグスタート評はこうです。彼女はもちろん戦前からフラグスタートを知っています。「私は彼女の声量、声質の美しさ、それに高貴さと純真さに圧倒されました。...彼女は北欧の人、私はラテン、それが全てを物語ります。私の高域は、あくまで私の意見ですけど、彼女より輝かしく、クリアであったと思います。」 インタビューの最後に彼女はこう語ります。 『そう、私は敬虔なキリスト教徒でありますが、正義はこの世のものではないと学んでおります。なににせよ、私は未だに全てを水に流す心境には達しておりません。そして、私が(私を虐げた人たちを)はたして赦すことができるのか、はなはだ心許ないのです』 静かな語り口の中に、強烈な思念が感じられます。 このインタビューの2年後、彼女は世を去ります。結果的には3人のイゾルデ歌いの中で、もっとも長寿でありました。そして、フランスのメディアは、一斉に彼女の過去の栄光を書き立てたのです。 記事冒頭の画像は、Wikipediaの彼女の項から、1941年当時の写真です。堂々たる貫禄ですねぇ。となりの、彼女の貫禄に押されて、吹けば飛びそうな若造は、ヘルベルト・フォン・カラヤンであります。(笑)
by mitch_hagane
| 2017-12-03 23:00
| 3.音楽
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