夏目漱石「漱石紀行文集」「漱石文明論集」を読んでみた、の巻。 |
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2017年 09月 18日
はい、「漱石紀行文集」(編者)藤井淑禎ふじいひでただ(2016年)岩波文庫、を読んでみたのです。ついでですから、この機会に「漱石文明論集」(編者)三好行雄みよしゆきお(1986年)岩波文庫、の方も読んでみました。 夏目漱石については、よく、初期と晩年とで作風に差がある、特に「修善寺の大患」を境にして差が大きい、と云われます。さて、どうなんでしょう。 例えば、「紀行文集」中の1902年の「自転車日記」と1912年の「初秋の一日」を比較してみましょう。前者はイギリス留学時に、勧められて自転車に初めて乗る話ですが、まるで「躁状態」の神経症患者のように、爆発的な可笑しみに満ちています。 一方、後者は明治天皇の御大葬を目前にして、北鎌倉に、かって指導をうけた禅師を訪ねるもの。違うと云えば、ずいぶんと違います。 ですが、後者は、一見かしこまった調子にはなっていますが、東慶寺門前で連れ小便をするくだりや、18年ぶりに釈宗演禅師と久闊を叙すシーンで、禅師の年齢についてふれるところなど、なかなかどうして、「自転車日記」の精神の余韻を感じさせます。これが御大葬を二日後に控えていなかったならば、諧謔の笑いの大爆発になっていても不思議はなかったでしょう。 他の講演記録なども、ひととおり読んだのですが、みっち的には、さほど「変化」は観取できなかったですねぇ。それどころか、漱石の生涯を通じての、終始一貫したものの見方というものが理解でき、考え方にぶれがない、と感じました。 たしかに、「草枕」と「こゝろ」を比べれば、違いますけれど、それは扱っている主題というか、そもそも小説のジャンルが違います。みっちは、漱石の晩年の小説を好みませんが、友の恋人を奪って結婚した後ろめたさ、などにどう拘泥しようが、それは作者の勝手、「小説の扱っている内容」と「作者の内なる心の働き・考え方」とは、少し異なるものであると思います。 付録:漱石の略年譜です。「紀行文集」「文明論集」を読み解く上で必要な情報を入れてみました。例えば、「京に着ける夕」に出てくる、正岡子規と京都に遊んだのはいつかとか、「初秋の一日」にある、釈宗演禅師を、円覚寺に訪ねたのはいつか、などです。 1867年(慶応3年)1月生まれる 1892年(明治25年)7月正岡子規と京都旅行(25歳) 1894年(明治27年)円覚寺に参禅し、釈宗演(1859-1919)の指導を受ける(27歳)師とは18年後に再会する。(「初秋の一日」) 1895年(明治28年)4月松山中学へ赴任(28歳)「愚見数則」 1896年(明治29年)6月中根鏡子と結婚(29歳) 同年10月第五高等学校誌に掲載「人生」 1900年(明治33年)9月イギリス留学へ出発(33歳) 同年10月28日横浜港よりパリを経てイギリスに到着 同年12月ブレット家へ下宿する 1901年(明治34年)4月ブレット家がキャンバーウェルからトゥティングへ移る「倫敦消息」 同年7月ブレット家からリール姉妹の下宿へ移る 1902年(明治35年)9月19日正岡子規没す(35歳) 同年秋「自転車日記」 1903年(明治36年)1月帰国、イギリス留学は正味2年と少し(36歳) 1905年(明治38年)1月『吾輩は猫である』(38歳) 1906年(明治39年)4月『坊ちゃん』(39歳) 同年9月『草枕』 1907年(明治40年)1月『野分』(40歳) 同年3月28日より4月12日まで京都・大阪を旅行、「京に着ける夕」 同年4月朝日新聞社へ入社「入社の辞」 同年6月『虞美人草』 1908年(明治41年)9月『三四郎』(41歳) 1909年(明治42年)6月『それから』(42歳) 同年9月韓国・満州を視察「満韓ところどころ」 1910年(明治43年)1月朝日新聞に掲載「東洋美術図譜」(43歳) 同年3月『門』 同年7月朝日新聞に掲載「イズムの効過」 同年8月療養先で大量の吐血、いわゆる修善寺の大患 同年10月東京に帰り長与病院に入院(翌年2月まで)「病院の春」 1911年(明治44年)2月文学博士号授与を辞退(44歳)「博士問題とマードック先生と余」 同年3月朝日新聞に掲載「マードック先生の『日本の歴史』」 同年4月朝日新聞に掲載「博士問題の成行」 同年5月朝日新聞に掲載「文芸委員は何をするか」 同年6月長野県会議事院にて講演「教育と文芸」 同年7月朝日新聞に掲載「学者と名誉」 同年8月朝日新聞社主催講演会「現代日本の開化」於和歌山、「中味と形式」於堺、「文芸と道徳」於大阪 1912年(明治45年・大正元年)1月『彼岸過迄』(45歳) 同年7月「初秋の一日」 同年12月『行人』 1913年(大正2年)12月第一高等学校にて講演「模倣と独立」(46歳) 1914年(大正3年)1月東京高等工業高校にて講演「無題」(47歳) 同年4月「こゝろ」 同年11月「私の個人主義」於学習院 1915年(大正4年)初春「硝子戸の中」(48歳) 同年6月『道草』 1916年(大正5年)5月『明暗』(49歳) 同年12月死去
by mitch_hagane
| 2017-09-18 14:59
| 5.本
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