さあ、さあ、見てのとおり、ルネ・ヤーコプスRené Jacobsのモーツァルト・オペラ総ざらえであります。
録音の新しい順に並べると、こんな感じです。
「後宮からの誘拐」1781-82年、ベルリン古楽アカデミー、2014年9月、テルデックス・スタジオ・ベルリン
「偽の女庭師」1774年、フライブルク・バロック・オーケストラ、2011年9月、テルデックス・スタジオ・ベルリン(
過去記事があります)
「魔笛」1791年、ベルリン古楽アカデミー、2009年11月、テルデックス・スタジオ・ベルリン
「イドメネオ」1780-81年、フライブルク・バロック・オーケストラ、2008年12月、エマニュエル教会ImmanuelskircheヴッパータールWuppertal
「ドン・ジョヴァンニ」1787年、フライブルク・バロック・オーケストラ、2006年11月、テルデックス・スタジオ・ベルリン
「皇帝ティートの慈悲」1791年、フライブルク・バロック・オーケストラ、2005年11月、テルデックス・スタジオ・ベルリン
「フィガロの結婚」1785-86年、コンチェルト・ケルン、2003年4月、Stolberger Saal Köln
「コジ・ファン・トゥッテ」1789-90年、コンチェルト・ケルン、1998年3月、Großer Sendesaal Köln
いずれも古楽のオーケストラを使い、すべてセッション録音、贅沢ですなぁ。(驚)
はい、レーベルはいずれもハルモニア・ムンディなので、行き届いた装幀、良く練られた解説書等に抜かりはありません。
昨年末に大量仕入れを行ったCD群の一環なのでありますが(笑)、思いきって全部買って置いて良かったです。これだけの力作群となると、簡単には聴き流せず、時間を掛けて愉しんでいる最中であります。
今日は「魔笛」について少々みっちの感想をば。
解説書所載のヤーコプス自身の説明が非常に面白いのです。題して「Die Zauberflöte als Hörspiel」とな。「魔笛」はジャンル的にはSingspiel歌芝居なんですけれど、ヤーコプスは、CDを聴く聴衆を強く意識して、Hörspiel聴き芝居(典型的にはラジオ劇です)をやろう、とこういう趣向なんです。
最初に、あの悪名高いシカネーダーのリブレットについて、ゲーテの言葉らしきものが引用されます。「シカネーダーのテキストが良くないと判断するのに大した教養は要らない、しかしそれが良きものであると分かるには偉大なる教養が必要である」
以下シカネーダーのリブレット擁護論が続くのです。
まあ、みっち的教養のレベルで申しますと、「やっぱ、あのリブレットは支離滅裂である」となります。(笑)
しかし、しかしですよ、この「魔笛」という普通「オペラ」に分類される作品が、「歌芝居」であるために台詞が欠かせないという点には、大賛成いたします。
モーツァルトの「魔笛」は人気作品でありますから、数多くの名録音があるのですが、台詞入りのものと台詞なしのものに二分されます。
カラヤン/ウィーン・フィルの1950年EMI盤、クレンペラー/フィルハーモニアの1964年EMI盤、いずれも名盤ですが台詞がない、これは決定的に感興を削ぎます。
また、フリッチャイ/RIAS響の1954年DGG盤のように台詞はあるが、歌手とは別の役者が演じているもの、これも駄目ですねぇ。
それでみっちのお薦め「魔笛」は、アバド/マーラー室内の2005年DGG盤か、ズイトナー/シュターツカペレ・ドレスデンの1970年Eterna盤ということになっていたのです。
さて、ヤーコプスはこの台詞について、どう言っているでしょうか。
『対話としての会話と、アリアの歌唱、それにアンサンブルは自然に一体とならねばなりません。そうなると、歌手たちは歌唱の時の声がどんなものかを、会話の中で示すことを許されるべきだし(この録音の場合は特に3人の侍女です)、また歌っているときには、会話の時の声の面影がなければいけません。』
はい、こういう感じは、本録音中では随所に聴かれます。かなり歌手たちに負担が掛かりそうですが、愉しい試みですね。
ということで、みっちは面白く聴きました。台詞重視の姿勢は大歓迎です。ただ、ちょっと一言いわせてもらえば、あの効果音(鳥の啼きごえなど)はもうちょい控えめでも良かったかと思います。(笑)