この記事は、リヒアルト・シュトラウスの指揮した『パルジファル』のテンポが非常に速かったこと。それは(シュトラウスによれば)ヴァーグナー本人の指示にもとづくものであった。この話をヴィーラント・ワーグナーとヴォルフガング・ワーグナーの兄弟が、シュトラウスの85回目の誕生日(1949年)の席で聞いたということになっています。
これに関連して、クレメンス・クラウスとピエール・ブーレーズの『パルジファル』のテンポがどちらもとても速かったこと、それで少なくともクレメンス・クラウスの方は、シュトラウスの影響であろう(二人は親しかったので)と推理したのです。
今回教えていただいた本を読んで、ブーレーズもこのことをヴィーラントから聞いていたことが分かりました。面白いものですね。
以下、「ブーレーズは語る」の該当部分からの引用です。
まずは、ヴィーラントから聞いた話。
『
最も有名な前例は、トスカニーニで、彼はとてもテンポの速いことで評判だったのですが、『パルジファル』では遅さの点で最高記録を打ち立てています。そうしたテンポの相違は、まず、このオペラのように本質上宗教的な作品には、敬意をこめて恭しく取り組むものだという気持ちから説明されます。儀礼的、典礼的な側面は、とくに、第一幕と第三幕において明白です。それとは完全に対照的に、第二幕は、とても官能的で、動揺やトランス状態をもたらす役目を含み持っています。宗教を口にする場合、その言葉自体が厳粛さを喚起し、そうしたことは一般にゆっくりとした動作によって、それも直観的に、またもっと確実には、伝統的な教育が叩き込んだやり方で表現されます。私はその点に誤りがあると思います。つまりドイツ語「feierlich」の訳語「厳粛な[solennel]」は、必ずしも遅いということを意味しません。歓喜の中の厳粛さは、かなり活発なテンポでも、だからと言ってヒステリーに転じることなく、表せます。次いで、「バイロイト」現象の作用が考えられます。今はそれほどでもありませんが、昔は甚だしかったのです。私はそのことでヴィーラント・ワーグナーと話し合ったことがあります。彼は、恐らく家族から伝え聞いた逸話をひとつ、私に語ってくれました。それに依れば、作曲家ヴァーグナーは、リハーサルの間中、テンポの途方もない遅さに大変苛立っていたということです。どうやら、ヴァーグナーは初演を担当した指揮者ヘルマン・レーヴィにたびたび声をかけ、彼に「もっと速く、もっと速く、ぐずぐずするんじゃない」と命じていたようです。最初から、『パルジファル』は遅さに取り憑かれていたということが分かります。
』
はい、『恐らく家族から伝え聞いた逸話』というのが、実はリヒアルト・シュトラウスから聞いた、ということを我々は知っているのです。(愉)
そして、『パルジファル』でテンポが遅くなる点について、ブーレーズの分析です。
『
私はむしろ、舞台上の配置に結びついていると思います。たとえば、第三幕の最後で、合唱団は舞台から円蓋へと三つの層をなして並びます。ヴァーグナーはシェナの大聖堂を空間的モデルとしたのですが、音が到達するまでに時間がかかるため、各グループが相互の声を聞き取るため、お互いを待ち合うということになります。それで、緩慢さが容赦なく身を落ち着けてしまうわけです。ですから、散在したアンサンブルにつきものの、音響の避け難い遅れを気にせずに進む必要があります。同様に、屋根があり、下降するような構造となっている、名高いオーケストラ・ピットの音響環境から生じる問題もあります。ホールから聞くと、まさに素晴らしいのですが、最初、それに慣れるには結構大変です。しばしば、オーケストラの音の方が、歌手たちの声よりも、とくに彼らが舞台の後方に位置している場合、遠くに見える歌手たちの声よりも強いという印象を受けるのです。指揮者はオーケストラの音の「中」にいて、他方、歌手の声は指揮者の上を通り過ぎ、直接ホールに向かって行きます。それで、テンポをゆっくりさせたくなってしまうのです。と言うのも、その場合、聞くことは待つことに等しいわけですから。そして、まさに、そうしてはならないんです。
』
pp30-31 「ブーレーズは語る」ピエール・ブーレーズ著 笠羽映子(訳) 青土社 2003年(刊) 原著は2002年(刊)
さらにです、この本を読んで、もう一つ新たな発見をしました。
これは、バイロイト歌劇場のオーケストラ・ピット内の楽器配置を論じたのものですが、どうも今いち納得の行かない部分がありました。
それが、今回ブーレーズの言っていることを読んでみて、かなり理解できたのです。
ここです。
『
バイロイト歌劇場において、弦楽器の配置は次のようになっています。つまり、第一ヴァイオリンは指揮者の右側に位置し、響き孔はホールの上の方へ向けられることになります。そして、第二ヴァイオリンは指揮者の左側に位置しますが、響き孔は壁の方へ向けられ、響きは最初の反響の後、広がっていき、輝きが一層ぼやけるようになっています。一段下がってヴィオラが、さらにもう一段下がってチェロが配置され、両脇に四丁ずつコントラバス(八丁のコントラバスは、ですから一緒ではありません)と、六台のハープが、これもコントラバスの両脇に三台ずつ配置されます。そして、ピットの底の方に降りて行くと、木管楽器があり、次いで、右側に八本のホルン、左側にトランペットとトロンボーンがあり、どん底にティンパニと打楽器群が見出されます。この配置は大理石型の中に流し込まれたかのように不動で、神聖にして犯すべからざるものです。それはヴァーグナーによって考え出され、とてもよく機能します。さらに、この歌劇場は、音楽家の配置されている、一種の彫刻のようなものです。ヴィーラント・ワーグナーによれば、カラヤンは八丁のコントラバスを同じ側に置こうとしたようですが、結果的には誤りであることが明らかとなり、ヴァーグナーの配置に戻ったということです。ヴァーグナーは自分の望むことをまさに知っていたのです。そして、その配置が最良だと私は言わなければなりません。
』
pp134-135 出典同じ
過去記事では、ヴォルフガングの回想録の記事をそのまま写して、こう書きました。
>彼は、全ての弦楽器を右に、全ての木管を左に、置こうとした。
>(注:原文はall the strings on the right and all the wind instruments on the leftです。
>何か変ですが、一応このままにしておきます)
『彼』というのはカラヤンです。ブーレーズの説明を聞いて、やっと分かりました。『全ての弦楽器』というのは、実は八丁のコントラバスのことを指すのだと思います。どう考えても、全弦楽器を右側には寄せられないですもんね。(笑)
また同記事に書いたように、よくネット上の資料に見られる『第1段は第1ヴァイオリン、第2段は第2ヴァイオリンとビオラ』という説明は誤りですね。第1段の指揮者から見て右に第一ヴァイオリン、第1段の左に第二ヴァイオリンという配置が正解と考えます。
以上です。
niwakana_wagnerianさん、ご教示ありがとうございました。とても参考になりました。(嬉)