カルロス・クライバーのバイロイト『トリスタンとイゾルデ』は如何にして実現したか |
ヴォルフガングの回想録は、正直な話、あまり分かりやすくないし、文章もこういっては何だが、ホッターやヴァルナイの回想録のようには面白くない。直訳は止めて、要点のみ記載することにする。
まず、回想録を理解するために、基礎知識を少々。
バイロイト『トリスタンとイゾルデ』1974年プロダクションは、1974年、1975年、1976年、1977年の4年間であった。
このうち、74年、75年、76年の指揮者はカルロス・クライバーである。ただし、76年は前半の3公演だけで、後半の3公演はホルスト・シュタインが指揮している。77年はホルスト・シュタインである。イゾルデ役は、すべてカタリーナ・リゲンツァが歌っている。
また、これに先立つプロダクションはヴィーラント・ワーグナーによるもので、1962年、63年、64年、66年、68年、69年、70年の7年間、指揮者はカール・ベーム、イゾルデはビルギット・ニルソンである。(ただし僅かな例外はある-詳細はバイロイト祝祭劇場のホームページを参照されたい)
さて、本題である。
トリスタンの1962年プロダクションが1970年に終了するのを受けて、ヴォルフガングは新しい指揮者を物色し始める。
まずは、レナード・バーンスタイン、接触は1967年11月遅くに始まり、1970年11月19日に終わった。失敗である。主な理由は、バーンスタインが映像収録にこだわったからだとされる。
続いて、ゲオルグ・ショルティ、1971年1月から1972年8月初めにかけて接触。これも失敗。理由は、スケジュール的なものらしい。
1971年のフェスティバルのリハーサルが始まった頃、ヴォルフガングはカルロス・クライバーから手紙を受け取る。クライバーはバイロイトでの指揮に意欲的であった。
そこに、カール・ベームとのちょっとした争いがおきる。ベームは1971年にライブの収録のためにバイロイトへ来たので、そこで話し合いとなった。ヴォルフガングは、ベームの起用は考えていなかった。ベームの方は、亡くなったヴィーラントが約束していたということで、新しいプロダクションに意欲的だったらしい。1971年11月3日、ヴォルフガングはベームに手紙を書いて、正式に断る。ベームの妻と息子は、その後も不満たらたらだったそうである。
さてヴォルフガングは休む間もなく、続いて1972年8月2日にショルティへ正式に断りの電報を打ち、カルロス・クライバーと接触を始める。クライバーからは、すぐに応諾の返事が来た。1973年8月26日に正式に契約を交わす。
クライバーは気難しい指揮者とされていたが、実際はそうではなく、バーンスタインやショルティのような無茶は言わなかったとのこと。
1976年の後半の公演をホルスト・シュタインが代わったのは、クライバーが手首を痛めたからだそうである。また1977年に指揮を断ったのは、個人的な事情personal reasonsのため。(その理由の詳細は明確にされていない)
さあ、こうしてとにかく、紆余曲折の末トリスタンの1974年プロダクションの指揮者は決まった。そしてイゾルデ役はカタリーナ・リゲンツァ、彼女のことは拙ブログでも、何回か扱っている。
(もしご興味ある方は、左欄『タグ』の『カタリーナ・リゲンツァ』をクリックしていただきたい)
彼女は前年の1973年までブリュンヒルデを歌っていたのだ。ここで、ヴォルフガングの文章を引用しよう。
『現行の「指輪」のプロデューサーとしての私は、新しい(トリスタンの)プロダクションのために、理想的なブリュンヒルデとジークフリートである、カタリーナ・リゲンツァとジャン・コックスJean Coxを失った。しかし、祝祭全体の監督としての私は、一方で、理想的なイゾルデを得ることが出来たのだ。』
ヴォルフガングは、1976年のバイロイト100年祭を機に『ニーベルングの指輪』の革新を行う予定で、そのためのブリュンヒルデを求めていた。1974年の「指輪」の公演では、ブリュンヒルデ役に3人の歌手を投入、ここで信頼を得たギネス・ジョーンズが、1975年の、そして革新の1976年「指輪」のブリュンヒルデを歌うこととなる。
写真は1974年バイロイト『トリスタンとイゾルデ』の舞台写真。
ボケボケの写真であるが、これしかないのである。(汗)これは一体、第3幕なんであろうか。それもはっきり分からないのである。(大汗)
おおっ、1976年のHorst Steinの方をお聴きですか。羨ましいです。
Catarina Ligendzaのイゾルデを、生で聴かれたわけですね。
写真はよく見ると、舟の舞台ですから、第1幕ですねぇ。(汗)
床に寝転がっている人がいたので、第3幕かな、と思ってしまいました。(笑)
それにしても、あれは誰なんだろう。
元の写真のURL(バイロイト公式ページです)を見ると、tristan74I5.jpgとなっていました。1974年トリスタンのI幕5番目の写真という意味かと思われます。