アンジェラ・ヒューイットさんのゴルトベルク変奏曲、新旧2つの録音を比較してみます、さぁてどちらがよいのでしょうか(笑)、の巻。 |

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2025年 06月 19日
![]() 確かにこの曲を聴く段になりますと、正直に云いますと、第12変奏までがみっちは少々つらい、このまま最後まで聴き通せるかなぁ、と少し不安になります。でも、それは第13変奏以降は様相が異なってきます、そして弾む第14変奏を経て、第15変奏は初めての短調、もうこのあたりから聴き通せる不安など無用のものとなります。第25変奏で曲はある高みに達します、そして第26変奏からは一瀉千里の勢い、全曲中でもっともダイナミックな第29変奏を経て、最後の第30変奏の恍惚になだれ込んで、最後にアリアが戻ってくるんですね、いや本当にすごい曲だと思います。 みっちの試聴環境は、いつものものですけど、今回旧盤と新盤を聴き比べるということで、気合を入れております。CDからリッピングした音源ファイルで、演奏ソフトはMedia Center、これはMacBook上、再生はDLNAサーバーのMicroRendu、USB DACはChordのQutestです。以前の環境に比べると、アンプがAccuphaseに変わったので、ちょっと音が暖かくなりました。そして、我が家にはスピーカーは3種用意しているのですが、今回のソースに関して云えば、スピーカーはKEF LS50 Metaに限ります、ELACとRogersには、ここは黙っていてもらいましょう。(笑) まずは、旧盤(1999年)と新盤(2015年)の物理的特性面を比較いたしましょう。まず周波数特性では、旧盤は22kHzまで、つまりCDの録音限界まで録っているのに対し、新盤は安全を見たのか、21kHzで切られています。また新盤は旧盤よりも、大きな音量で入っています。よって、新盤は旧盤よりもピークレベルは高く、ダイナミックレンジは小さいです。こうした傾向は、このアンジェラさんの盤に限らず、最近では一般的に見られる傾向です。要は新盤では、一般家庭での再生を容易にした、ということで、オーディオマニア(気違い)には別の意見があるかもしれません。 音楽ファン的なセンスではなく、音(オーディオ)のマニアとして、旧盤と新盤を聴き比べますと、高音の響きは旧盤の方がシャープ、新盤は優しい響きです。ピアノの違いに依るものかもしれません、旧盤はスタインウェイ、新盤はファツィオリですので。ただ、低い音の響き・残響は新盤は少しクセがあるというか、すこしどうかな、と感じました。この点は旧盤の方がすっきりして、みっちには好ましい、必ずしも新盤が旧盤を音質的に凌いでいるとは感じません。オーディオというのは、なかなか難しいものであります。 ロケーションに関して云えば、旧盤はロンドンのヘンリー・ウッド・ホール、ここは教会を改装したものです。ですが、残響特性を見るかぎり、中低域の残響は低めに抑えられ、スタジオを思わせるような特性になっています。新盤はベルリン、Oberschöneweideのキリスト教会、ここはエテルナの室内楽録音などによく使われたところですかね、残響特性が分かる資料は見つけられませんでした。写真を見ると、ホールの両翼はレンガ造りのアーチが並んで天井を支える構造、ちょっと変わった作りだと思います。なお、録音エンジニア(兼プロデューサー)はLudger Böckenhoffで、これは同じです。 総演奏時間については、旧盤78分18秒、新盤81分58秒、先日のアンジェラさんのリサイタルは82分50秒ほどでありました。少しづつ長くなっている感じはいたします。旧盤新盤のライナーノートやメーカー惹句などを見ますと、(まぁどの程度本当のことか分かりませんが)、アンジェラさんは、とにかく32個のトラックを完璧に録って、それを繋ぎ合わせよう、という意図からは遠いようです。あくまで全体の流れを重視し、一貫した流れで最初から最後までを録音しています、むろん聴き直したあとで、若干のリテイクはあるのでしょうが。 旧盤を収録するに要した期間は、1999年8月28日から9月1日まで5日間、新盤は2015年12月14-17日の4日間です。しかし、例えば旧盤の説明を読めば、『4日間のスタジオ・レコーディングで、(この場合は、ロンドンの素晴らしいヘンリー・ウッド・ホールだったが)、アンジェラはすべての変奏曲をテープに入れていた、しかし冒頭のアリアだけ、もう一度試したいと希望した。マッサージと日本食を摂ったあとで、彼女はスタジオに戻り、夜の11時から演奏を始めた。このテーマのあと、レコード・プロデューサーのLudger Böckenhoffは、彼女に続けて弾くように促し、彼女はそれに従って全曲を演奏したが、その時までに終えたどれよりも優れていると感じたのだ。いくつかのテイクを翌日録り直しはしたが、これがこのCDで聴けるものなのである。 After four days in the recording studio (in this case, London’s wonderful Henry Wood Hall), Angela had every variation on tape, but wanted to try the opening Aria again. Following a massage and Japanese meal, she went back and began to play after 11 p.m. After finishing the theme, her record producer, Ludger Böckenhoff, urged her to continue, and she did, giving a complete performance which she felt was far above anything she had done up until that time. Except for some retakes that were done the following day, that is what appears here on the CD.』 、とあります。 さてさて、少々道草もありましたが、今回みっちが比較試聴した内容は以上です。それで、あんたはどっちを採るのか、いやぁ難しいですが、音(オーディオ)のマニアである、みっちとしては旧盤を推したいです。ということで、記事冒頭の画像は、旧盤のジャケットです。(笑)新盤のジャケットは過去記事にありますので、そちらをご覧ください。 #
by mitch_hagane
| 2025-06-19 17:44
| 3.音楽
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2025年 06月 13日
![]() 『......やはり、あのころ、終戦直後のことだ。省線(現在のJR)の東中野駅近くに、「モナミ」というカフェハウスがあった。たぶん、戦前はだれかの邸だったのだろう。焼け残ったので、その応接間を改造して、喫茶室のように仕立てたのだ。かなり広い部屋で、二、三十人は収容できた。そこも時おり、”文学カフェ”に変貌した。というのは、その喫茶室を会場にして、若い文学サークルがしばしば集まったからである。 たしか昭和二十三年、春まだ遠い二月初めの夜だったように記憶する。私はその会合に出てみた。部屋には、すでに多勢の青年たちがつめかけて、さかんに討論が行なわれていた。テーマは、「実存主義」について、だった。 中央の議長席”のようなテーブルには、真っ黒な長い頭髪をかきあげながら、中年の恰幅のいい眼の大きな男がしゃべっていた。 サルトル、カミュ、ニーチェ、キェルケゴール・・・・・・などという名前がつぎつぎにとび出す。やたらにむずかしい外国語を使って、みんなを煙に巻いていたようだった。彼が『夜の会』というこうした会を主宰していた花田清輝である。 私はその席で、花田清輝をはじめ、まだ東大医学部の学生だった安部公房、受付役を引き受けていた五味康祐、油だらけの鳥打帽をかぶり、青い顔で、訥々と発言していた作家、椎名麟三、兵隊服の梅崎春生などを知った。』 この「モナミ」については、ネット上によい資料があります。これです。 中野区立中央図書館が作成した「幻のモナミ ~東中野に集まった文化人~」というパンフレットのようなものですが、とてもよく調べられています、労作です。表紙を記事冒頭の画像に示します。 それでこの冊子に当たっていただければ、それで今回の記事の目的はお終い(笑)なんですが、それじゃあちょっとというわけで、多少内容を紹介しつつ、少し膨らませてみましょう。 「モナミ」の前身は、森本さんの推測どおり、戦前はエリートの屋敷だったようです。場所は東中野駅前、今は、東中野アパートメンツという下層階に店舗の入ったマンションが建っているところのようです。敷地は1000平方メートルほど、ここに邸宅と、夏場はビアガーデンも可能な広い庭、玄関脇には独立した喫茶部がある(もともとは御者か車夫の控え所あたりですかねぇ)という、立派なお屋敷です。邸宅の設計はフランク・ロイド・ライトの弟子筋である遠藤新氏であるという、なんとも豪勢であります。 ここは木部邸、建物の施主であったとみられる木部一枝(きべ かずえ)は、奈良県出身、明治6年(1873年)生まれ。 以下上記資料をそのまま引用します。 『明治31年(1898年)東京大学卒業後に古河鉱業に入社し、阿仁鉱業所長などを務める。大正8年(1919年)当時足尾鉱業所長だった一枝は、労働組合の要求を受け入れようとしたことで会社の不興を買い、10年(1921年)辞職させられた。当時の新聞によれば温厚な学者肌であったという。その後、大正の終わりから昭和の初めに東中野に移り、各社の重役を務めながら昭和12年(1937年)に亡くなった。彼の死後、14年(1939年)には長男修一は他区に移っているので、木部一家がこの邸宅に住んでいたのは約15年間ということになる。』 おおっ、古河鉱業の足尾銅山ですか、ここは鉱毒事件や労働組合争議などで、甚だ印象はよろしくありません、そうした資料を見ますと、たしかに1905年-1906年ごろの足尾鉱業所の坑部課長として、木部一枝の名前が見えます。当時帝大出のエリートとしてそれなりの厚遇を得ていたのでしょうが、しかし下世話なことを申せば、その稼ぎで上記邸宅を購えたとも思えません、もともと富豪の家系であったか、奥様の方が富豪であったか、まぁそんな想像が浮かんで参ります。 森本さんは、『東京にもキャフェ「ドゥ・マゴ」、あるいは「グリーンシュタイトル」のような役割をもった店が、いくつか存在していたのである!それは、何ともわびしい焼けビルの地下の一室だったり、急ごしらえの”ミルクホール”のような喫茶店ではあったけれど、不思議なことに、焼け跡のなかで最初に目につき始めたのは、闇市を別にすれば、そうした”カフェハウス”だったのだ。』、なんて書いていて、てっきりみっちは「モナミ」もそうした焼け跡にできた仮のカフェハウスかと思っていました。ぜんぜん違うのです。(笑) あと、オーディオマニアには親しい名前である、五味康祐が「夜の会」の受付役を引き受けていたんですね。黒の着物に袴姿だったらしいのですが、いやどんな感じだったのか、写真は残っていないようであります。 #
by mitch_hagane
| 2025-06-13 16:50
| 5.本
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2025年 06月 12日
![]() 今回、このあたりの経緯を知りたいと思い、こんな本を読んでみました。 「オリエンタリストの憂鬱―植民地主義時代のフランス東洋学者とアンコール遺跡の考古学」、藤原 貞朗【著】、株式会社めこん【発行】(2008年)です。この本の第8章「アンコール遺跡の考古学史と日本」にその答えは載っていました。そしてその内容は実に奇々怪々なのであります。(以下は同書の記載を、みっち流に読み取った結果です) 誰と誰が交換を企画したのか?:日本側は「財団法人国際文化振興会」(KBS、1934年創設、現在の「独立行政法人国際交流基金」の母体)、フランス側は「フランス極東学院 École française d'Extrême-Orient」である。交渉にあたったのは、国際文化振興会の専務理事である黒田清伯爵(1893-1951)と、極東学院長であった、ジョルジュ・セデス George Cœdès(1886-1969)である。 何と何を交換したのか?:日本側は帝室博物館(現在の東京国立博物館、東博)の所蔵する日本の古美術、フランス側は極東学院が保管するクメールの古美術である。日本側の提供した品は「狩野典信の山水画を含む絵画三点、鎌倉時代の木造阿弥陀立像、能面五点など計三一点の美術品」などであり、これに「国際文化振興会が用意した萌黄威の鎧や駕籠など八点の美術工芸品と二六点の『アイヌ文化資料』」を加え、計65点である。フランス側は極東学院が選定した「アンコール期の彫刻(彫像と浮彫)三三点、青銅器一三点、陶器と瓦二五点、計七一点である。」 交換はいつ行われたのか?:日本側の交換品決定は1942年7月、実際にインドシナへ送られたのは1943年4月である。フランス側の交換品選定は1941年9月と早いが、実際に日本へ送られたのは1944年の1月か2月である。 交換後にその美術品はどうなったか?:日本側で一般に公開展示されたのは戦後の1947年9月である。帝室博物館は1947年5月に「国立博物館」と改称、所管も宮内庁から文部省となる。その後は1952年にさらに「東京国立博物館」と改称された。インドシナへ送られた日本の美術品のその後の消息は杳(よう)として知られていない。 以下は同書から離れて、みっちの所感となります。 歴史的な環境:カンボジアは1863年にフランス帝国(当時)の保護国となり、1887年にはフランス領インドシナの一部となっています。早い話がフランスの植民地だったわけで、パリのギメ東洋美術館(Musée Guimet)は、アンコール美術品の所蔵において、質・量ともに世界有数の美術館ですが、それは当然ながらこの歴史を反映したものです。 ナチス・ドイツは1940年にパリを占領、ヴィシー政府が成立、日本軍の北部仏印進駐(1940年)と南部仏印進駐(1941年)と続き、太平洋戦争へ突入していったのはいうまでもありません。カンボジアが完全独立を達成するのは戦後1953年のことです。 東博に残されたクメール美術品の価値はどのくらいのものなのか?:ありていに云って、美術品として評価できる逸品は数点というところでしょう。むろん考古学的遺物としての価値は大きいと思いますが。1997年に東京都美術館でクメール美術の企画展が開かれ、「アンコールワットとクメール美術の1000年展」という図録が出版されています。ここには100点近い美術品が載せられていますが、それらはプノンペンのカンボジア国立博物館と上記ギメ東洋美術館所蔵のものがほとんどで、東博からの出展は3件にとどまります。 12世紀前半の「女神」立像(頭部と両腕が失われています)、同じく12世紀前半の「ナーガの上のブッダ」(ナーガというのは蛇神です、7つの頭をブッダに差し掛けて守ります、向かって左側の2頭分が欠けています)、そして12世紀末から13世紀初頭の「人物浮彫」(基壇を支える部材の一部のようなもの、欠けはあるが迫力ある天人像)です。 みっち的感想:クメール美術の一端が東博の地下の一角に展示保管されている経緯は、上記のようなものです。事情が分かっても、なんだかすっきりいたしません。フランス極東学院は宗主国であるフランスの政府機関として、長年に渡ってカンボジアのリソースを吸い取ってきたと思うし、日本もカンボジアを軍事力で侵略・占領した上で交渉したわけで、なんとも後味はよくない、今後も東博に行くたびに、そうした経緯が頭をかすめると思います。 記事冒頭の画像は「アンコールワットとクメール美術の1000年展」図録と、「オリエンタリストの憂鬱―植民地主義時代のフランス東洋学者とアンコール遺跡の考古学」です。またこれが「ナーガの上のブッダ」です。東博のページから。 ![]() #
by mitch_hagane
| 2025-06-12 18:17
| 6.美術
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