エルザ・シラーは何故フルトヴェングラーの「指輪」(ローマ)を発売できなかったのだろうか、の巻。 |
対してEMIは「指輪」の録音がなかなかできなかった。それで、重い腰を上げ、高いお金を払ってフルトヴェングラーを出した…それまでにEMIは、ワルター、フルトヴェングラーと二度企画して、頓挫していますからね。やけくそだったのかも。
>EMIは、...やけくそだったのかも...
せっかく、フルトヴェングラーと「指輪」のスタジオ録音の契約をしても、完成したのは「ワルキューレ」だけで、フルトヴェングラーが亡くなってしまう。RAIには、「ワルキューレ」以外の3作だけ使わせてくれ、などというオファーもしたそうです。(当然断られる-RAIは旧敵国イギリスへの反感もあったようです。まだ「戦後」でありましたから)
そうこうしているうちに、時代はステレオとなり、担当者は泣き面に蜂だったでしょうね。
この録音いろいろ曰く付きですねぇ。たしかフルトヴェングラー自身がRAIの録音の公式リリースをEMIにもちかけたが、全曲スタジオで録るつもりだったEMI(というかレッグ?)が話を蹴ったんでしたっけ。フルトヴェングラーの死後のEMIのオファーは、RAIにしてみれば今更どの面下げてという話だったのでしょう。推測ですがフルトヴェングラーのEMIへのオファーはRAIにも話を通したうえだったでしょうし。
この録音についてはこんなネタもありますね。
http://www.furt-centre.com/osirase/20040510WFHC004Announce.htm
いろいろ眉唾ですがフルトヴェングラー夫人がRAI提供の良質な盤を所有していたのが事実なら今でも残ってるのかも知れませんね。Testamentあたりに期待したいところです。
とかくフルトヴェングラーがらみは、怪しい話が多いです。(笑)
デア・シュピーゲルの記事を信じるなら、「オリジナルのテープは消去された」「バックアップとして29枚のディスクに記録してあった」、とのことなので、1959年にエリザベート夫人に贈られたのは、このディスクそのものではなかったか、と思います。
そうなると、この29枚のディスクが、現在の全てのCDのマザーということになる、と思いますが、各々の宣伝惹句を見ると、「オリジナル・テープを発見!」とかの記載が多いです。(爆)
「Billboard」の1972年9月2日号に、ローマの「指輪」発売開始の記事が載っており、その内容は、デア・シュピーゲル1972年10月9日号の内容と矛盾しません。
EMIが最初に失敗した時の責任者はDavid Bicknell、最後に見事な交渉をして発売にこぎ着けた時の責任者は、やっぱりあのPeter Andryだったそうです。
なお、アンドリーの回顧録には、この件の記載はありません。