果たしてハイドンはモーツァルトのことをどう思っていたのか、あるいは、モーツァルトの後期交響曲群を聴いたあとで、なおかつ交響曲を書こうという気になれたのは何故か、を妄想してみるの巻。 |
ハイドンとモーツァルトの関係は色々と書かれていますが
弦楽四重奏曲に限るとハイドンの「ロシア四重奏曲」に刺激を受けたモーツァルトがハイドンに「ハイドン・セット」を献呈し、それを聴いたハイドンが後の「エルデーデイ四重奏曲」などを完成させた、ということでしょうか。
つまりお互いに刺激しあって作品を高めていった。
吉田秀和氏はハイドンに足りなかったものを付け加えたのがモーツァルト
そういうことを読んだおぼえがあります
>「ハイドンはモーツァルトの真価を知ってから、シリアスな交響曲を書くのは諦めた」のではないかと思います。
これはおおいにあり得ると思いました
ハイドンの短調の作品群、特に39番ト短調の交響曲を聴くと、明らかにモーツァルトはこれを聴いて名作である交響曲や弦楽五重奏曲のト短調の作品を完成させたと想像できます
そして、これからはみっちさんの記事を読んで思ったのですが
自分の書きたくても出来なかった作品を遙かに高い次元でモーツァルトが作曲したことで激しい曲想の作曲はあきらめた、そんなことを思ってしまいました。
みっちは今までハイドンの熱心な聴者ではありませんでした。これから、彼の壮年期の作品を中心に聴き込んでいこうかな、と思っています。
本文中にちらっと触れたラッセルの話なんですが、この頃ラッセルが友人の貴族夫人(というか不倫相手-彼の奔放な女性関係は有名)に、(ウィトゲンシュタインに自分の哲学を批判されて)『奴の言うことは理解できないが、奴の言っていることが正しいというのは分かるんだ』と述懐したというエピソード(笑)、どこかで読んだ覚えはあるのですが、さっぱり何か思い出せない。
ああっ、年は取りたくないものです。これを読んでご存じの方は、ぜひぜひご教示を。(汗)
ハイドン、モーツァルトのころは依頼されて作曲するので、注文されれば、人様の作品との比較は脇においておいて、何でも作ったのではないでしょうか。
それはさておき、ハイドンもモーツァルトも大好きな自分としては、たとえば「時計」と「ジュピター」がどちらが偉大な作品かなんて、結論が出るとも思われません。
>古めの記事へもコメントしても問題ない...
はぁ、大歓迎です。(嬉)それに当ブログは、まったく時事ネタ要素に乏しいですし。(笑)
>注文されれば...何でも作ったのでは...
モーツァルトに関しては、全くそのとおりと思います。何しろ生活に困窮していましたから。死の年とその前年には、蝋人形館向けに時計仕掛けの自動オルガン用の小曲なんかも作っています。そんな作品でも素敵なのは流石ですが、胸中は如何ばかりだったか。
一方、ハイドンの方は、名家エステルハージ家の楽長さまで、晩年はそこから年金をもらい悠々自適、2回のロンドン公演は興行的にも大成功、ウィーンで「セレブ」として生涯を閉じたわけで、生活のために作曲することはなかったと思います。
>「時計」と「ジュピター」がどちらが偉大な作品か...
どちらも「好き」でよろしいんじゃないでしょうか。ただ、みっちの場合、「時計」を聴くときと、「ジュピター」を聴く時では、明らかにその時の心持ちは異なります。あくまで、みっちの場合ですが。(笑)