ボブ・ディラン(1941-)の『風の中に吹かれて』Blowin' In The Wind(1962)を、みっちなりに訳してみました、の巻。 |
カレンダー
カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
タグ
オーディオ(128)
オペラ音盤(86) 公演見聞記(71) テニス(56) フィリップ・プルマン(43) 児童文学(38) ワーグナー考察(35) 室内楽(30) D810(27) D800E(23) FMエアチェック(21) 東レ・パンパシフィック(21) ヴァルトラウト・マイアー(20) α6000(20) α7RIII(20) アバド(20) フリードリッヒ・グルダ(19) ベートーヴェン(18) 持ち物(18) シュターツカペレ・ドレスデン(18) カタリーナ・リゲンツァ(17) リヒアルト・シュトラウス(16) パルジファル(16) ファウンデーション(15) マルタ・メードル(14) エレーヌ・グリモー(13) カラヤン(13) iPhone 12 Pro Max(12) パンケーキ(12) ドン・ジョヴァンニ(12) モーツァルト(12) ジャック・リーチャー(12) 五味康祐(11) リー・チャイルド(11) 名曲100選(11) トリスタンとイゾルデ(11) 黒田恭一(11) クナッパーツブッシュ(10) アストリッド・ヴァルナイ(10) iTunes(10) Fire HD 8(10) ワルキューレ(9) グレコ・ローマン古典(9) ダン・ブラウン(9) MacBook(9) タンホイザー(8) ジョン・カルショウ(8) 翻訳(8) クリスティアン・ティーレマン(8) ピアノ・トリオ(8) 新国立劇場(8) iPad Pro 12.9 第5世代(8) ピーター・アンドリー(8) ハリー・クプファー(8) マルティン・ハイデッガー(8) 魔笛(7) ハンス・ホッター(7) 妖精の女王(7) 大地の歌(7) 録音スタジオの内側(7) 影のない女(7) デルファイ(7) So war mein Weg(7) 使い方(7) シャーンドル・ヴェーグ(6) ヘキサーRF(6) 夏目漱石(6) グレン・グールド(6) フルトヴェングラー(6) ブルーノ・ワルター(6) ハンナ・アーレント(6) キャサリン・フォスター(6) インフェルノ(6) NLP(6) Audirvana Plus(6) ショーペンハウアー(6) ダン・シモンズ(6) メンデルスゾーン(6) ステファン・ヘアハイムの指環(6) ハイペリオン(6) 橋爪ゆか(6) ジョニ・ミッチェル(6) ヴィーラント・ワーグナー(6) イモージェン・クーパー(6) 55mm F1.2(5) ウイリアム・ブレイク(5) ローエングリン(5) ロバート・ラングドン(5) クリスタ・ルートヴィヒ(5) Fireface UFX(5) 存在と時間(5) マイスタージンガー(5) Magnus Flyte(5) カルロ・マリア・ジュリーニ(5) Python(5) ジェニファー・ローレンス(5) 近所散歩(5) シモーネ・ヤング(4) スター・ウォーズ(4) フリーダ・ライダー(4) 最新の記事
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2016年 12月 14日
はい、ボブ・ディランのノーベル賞バンケット・スピーチ、なかなか面白かったですね。 これでちょっと思ったのは、日本語の「文学」という言葉の定義と、「literature」の定義が違うんではないか、ということですね。広辞苑で「文学」を引いてみると、「詩歌・小説・物語・戯曲・評論・随筆など」となっています。英語の辞書で「literature」を引くと、「novels, plays and poems」となり、「評論・随筆」が含まれてないです。どうも日本語の「文学」の方が少し広義であるような気がいたします。 まあ、それはともあれ、ディランはシェークスピアを引き合いに出し、彼は文学を書いているとは思っていなかったに違いないと言っています。 『I would reckon he thought of himself as a dramatist. The thought that he was writing literature couldn't have entered his head. His words were written for the stage.Meant to be spoken not read. 』 『私が思うに、彼は自分のことを劇作家と考えていたでしょう。彼は文学を書いているとは思ってもみなかったに違いない。彼の言葉は舞台のために書かれていました。語られることを意図しており、読まれるものではなかったのです。』 ディラン自身も同じであると言うのですね。なるほど、なるほど。 こんな言葉もありましたっけ。『「ハムレット」を芸術作品だとみなしてきた人々の大半は、この作品がおもしろかったからであって、けっしてこれが芸術作品であるという理由でおもしろいと感じたわけではない。』T.S.エリオット ということで、ディランの代表作を読み直してみましょう。みっちはディランのリアルタイムの聴者ですが、「芸術作品」だと思って聴いてはいませんでした。(笑) はい、原詩はディランの公式ページhttp://bobdylan.com/songs/blowin-wind/をご覧下さい。 なお、この中で『Yes, ’n’ 』とあるのは、Yes, andの省略形です。 翻訳にあたっては、みっちのいつものやり方どおり、①逐語訳、②語順もだいたい倣う、としています。 『風の中に吹かれて』Blowin' In The Wind(1962)みっち訳 いくつの道を人は歩かねばならないのか いっぱしの人と呼ばれるまでに? いくつの海を白鳩は渡らねばならないのか 砂浜で眠るまでに? そうさ、そして何回砲弾は飛ばねばならないのか 永久に禁止されるまでに? その答えは、友よ、風の中に吹かれている その答えは風の中に吹かれている そうさ、そして何年山は存在できるのか 海に洗い流されるまでに? そうさ、何年あの人達は生きられるのか 自由が許されるまでに? そうさ、何回人は頭(こうべ)を巡らすことができるのか 見なかったことにするために? その答えは、友よ、風の中に吹かれている その答えは風の中に吹かれている そうさ、何回人は見上げねばならないのか 空を見ることができるために? そうさ、いくつの耳を一人の人は持たねばならないのか 人々の嘆きを聞けるために? そうさ、そして何人の死が受け入れられるのだろうか あまりに多くの人が死んだと気づくまでに? その答えは、友よ、風の中に吹かれている その答えは風の中に吹かれている 記事冒頭の画像はボブ・ディランとジョーン・バエズ、1963年8月28日の写真です。出典はウィキペディアの「ボブ・ディラン」の項より。
by mitch_hagane
| 2016-12-14 12:13
| 3.音楽
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||