日々雑感、そしてティーレマン自伝の続き、ソーセージ・サラダ(笑)の巻 |
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2016年 06月 23日
みっちは今年66歳ですが、まあ体力の衰えはともかく、問題なのは記憶力です。 ああっ、もう駄目だなと痛切に感じるのは、すでに持っている本やCDを間違えてまた買ったりすること。(笑) さらにひどいのは、自分の書いたブログの過去記事の内容まで、きれいさっぱり忘れていて、改めて読んだりすると、ほほぉと思ったりすること。(爆) 兼好法師は「徒然草」を書いたときは、何歳くらいだったのかね。 きっと、みっちよりもずっと若かったんでしょうなぁ。(汗) ところで、この「徒然草」の冒頭ですが、 『つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。』 現代語の定訳はあるんでしょうか。 まあ、いいや、みっち訳。(笑) 『つれづれな気分に任せ、その日一日を過ごし、硯に向かって、心に浮かんでは消えるあれこれを、そこはかとなく書き表してみると、怪しげなところもあるし、正気を疑わせるようなところもあるのだ。』 昔、教科書で読んだときは、何だぁ、と思いましたが、今の時点では中々だと感じます。 それでは、ティーレマンの自伝を拾い読みしましょう。 今日は、「クモの巣、荘重さ、ソーセージ・サラダ:バイロイトと緑の丘」という章です。クモの巣や荘重さはいいとして、ソーセージ・サラダって何やの?、まあそれは追って説明するとしまして。(笑) 今回は長いので内容をかいつまんでの紹介です。 (完全な訳ではありません、それなりの要約です-笑) 『...そして「特別扱いなし」というのがフェスティバルの原則であり、そういったことに関心ある人に申し上げれば、「さまよえるオランダ人」を指揮しても、「神々の黄昏」を指揮しても、得るものは同じである。ディレクターの報酬は公演が再演されるごとに半減する(プレミアの年には100%、再演の時は50%、再々演は25%、という具合) ローエングリン役を大スター歌手が演ろうが、有望な新人が演ろうが、ギャラは同じである』 ほほぉ、バイロイトはどうも家族経営的で、派手なショービジネスとは無縁のようです。もちろん、年々状況は変化しているのでしょうが。 『毎年7月25日の開催の時のレッド・カーペット以外は、バイロイト・フェスティバルは魅惑的なものではない。そのレッド・カーペットにしても、オープニングの夜には巻き上げられてしまうのだ。』 また、バイロイト劇場は、古い木造建築である。 『いちど、足を強く踏み鳴らしてみれば良い。うつろな響きがするはずだ。しっかりした基礎というのはなく、あるのは、砂と、クモの巣、ゆるく積まれた石、それに小動物の死骸だ。それと、馬鹿にならない量の水である。(2010年になって、やっと新しい排水システムが引かれ、雷雨や豪雨の時でも、ホワイエは水浸しにならなくなった)』 空調もない。 『(空調が効きすぎて)中の湿気がすっかり吸い取られれば、木材は割れ、あちこちで反ってしまうだろう。それで、そこそこの効果のダクト・クーリング・システムが1990年に取り付けられ、観客席は過ごしやすくなった。だが、ピットにいる罪深き我々はといえば、「神々の黄昏」あたりでは48度にも感じられる熱気の中にいるのである。指揮者のカール・ベームは、そういう時には、両足を浸けるための、冷たい水の入った洗面器を2つ用意させたと言われている。私はヴォルフガング・ワーグナーの許しを得て、2つの換気用管を指揮者の演壇に取り付けさせた。あまり格好は良くないが、換気を保つ役には立つ。どのみち、指揮台は、小さなランプやライト類、ケーブルやらストリップの照明などで、太古の昔の地下操縦席みたいなのである。決して、説教台とか楽譜台とかいった雰囲気ではない。』 有名なオーケストラ・ピットの狭さについて。 『数学的には、奏者一人あたりの面積は1.129平方メートルである。したがって、オーケストラが124名で構成されるとすれば、全体で140平方メートルとなる。決して大きなスペースではない。』 さらに劇場創建時の話。 『全てがほとんど仕上がった時に、彼(リヒアルト・ヴァーグナー)はピットを再び拡張したのである。今回は観客席の前の2つの列を取り壊したのだ。そして、もはや建築に関して何も出来なくなると、彼は楽譜の中のいくつかのパッセージの楽器構成を見直した、「指輪」についてもである。』 ここが面白いところで、ヴァーグナーはバイロイト祝祭劇場の設計者ですが、実際に作って音響効果を確かめ、不十分なところは、楽譜自体を改めているんですね。注意すべきは「マイスタージンガー」以前の楽劇は、必ずしも祝祭劇場の音響効果を想定していない、ということです。ティーレマンはべつのところで、「マイスタージンガー」は祝祭劇場では、あまりうまく響かないと言っています。 そして、有名なバイロイトでの難しさについては、こうです。 『もし私が指揮台に立って、合唱とオーケストラは申し分なく一体であると感じるなら、まず間違いなく、観客席ではその反対の結果である。合唱がやや速く感じられるはずだ。 決してそれほど速くはなく、ほんの少しですが、確実にそうである。 またブリュンヒルデを歌う歌手が、「神々の黄昏」において、最後のパッセージに取りかかる時、彼女が葬送の薪を積むよう求める言葉を、私は彼女の唇を読んで知らねばならない。なぜなら、実際に彼女の声を聴くのは不可能だからである。オーケストラの音が彼女を飲み込んでしまうのだ。 ...中略... オーケストラは良くても、歌手たちの高い、そして遠い叫びが聞こえるだけである。それとは別に、ミュージシャンは互いの音がとても聞き取りにくいし、歌手たちはピットから発せられる(音の)一斉射撃にとても対抗できないように感じる。そして指揮者はといえば、全てを見通せるかもしれないが、自分自身の耳を信じることは出来ないのである。 それで、リハーサル中には、指揮者の演壇のそばに電話が置かれている訳なのだ、旧式な灰色のやつで、小さな赤いライトが点くと、それは観客席にいてチェックをしているアシスタントが、音が大きすぎる、ソフトすぎる、遅すぎる、速すぎる、と気づいたときなのである。公演中には電話はない。(時々私はそれがあったらと思う)バイロイトで、ダニエル・バレンボイムがこう言ったことがある、「指揮者は音楽を聴くことを許されていないのだ」と。 』 へぇー、こんな環境でよく指揮ができるもんだ、と思いますが。(笑) 『時間とともに、指揮者はこうした測定不能の大小の事柄の、感覚を掴めるようになる。そして、「さまよえるオランダ人」におけるフォルテは、「ジークフリート」におけるフォルテとは異なることが分かるのだ。』 そして、他の指揮者のリハーサルを聴きに行くのが、大変有効であるという。 他の劇場では、とても考えられないことですねぇ。バイロイトの緑の丘は、そこに参加する人の態度を変えさせるようです。家庭的雰囲気の伝統は、抜きがたいものがあると言えるでしょう。そして、それに馴染めない人は、去るしかない、とこうです。 また、バイロイトは残響が長いとのこと。 『さらに厄介なのは、祝祭劇場では、エコーが消え去るまでの時間が長いことである。残念ながら、数字については一致した見解がない、ある人はそれが1.8から1.9秒だと言うし、他の人は、なんと法外な2.25秒だという。(テアトロ・コロンとニューヨークのメトだけがそういう長い残響時間に近い)』 みっちの以前の過去記事で、ホールの残響時間のことは扱っています。バイロイトは空席時に1.9秒となってますね。 いずれにせよ、一般的なオペラハウスと比べて、バイロイトの残響が長めなのは間違いないです。 はい、ティーレマンの自伝は読んでいて、とても面白いので、切りがないです。今日はこの辺で。あれっ、ソーセージ・サラダはどうなったって?(笑) それでは、これを。 『 ヴァーグナー家の人はソーセージ・サラダを食べるのが好きだった。幕間の接待として、これはヴァーグナー家で開かれる有名なパーティだが、ソーセージ・サラダがいつも目玉だったのである。私はソーセージ・サラダが好きではない、しかしまったくのところ、テーブルにあるのはそれが全てなのだった。 』 ということで、果たして「ソーセージ・サラダ」とはどんなものなのか?(笑) これは、ドイツ語オリジナルでは、「Wurstsalat」です。 それではGoogleで画像検索してみましょう。 本記事冒頭の画像を参照してください。 まあ、多少バリエーションはあるのでしょうが、こんなものでしょう。ちっとも美味しそうじゃない!(笑) こういうものが、あのバイロイトのヴァーグナー家主催のパーティで、メインのディッシュとして振る舞われるんですか。(驚) もっと豪奢なのを想像していたのですが、ドイツって、そしてバイロイトって、想像以上に地味で質素なのかも。
by mitch_hagane
| 2016-06-23 11:58
| 3.音楽
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