リチャード・ホーフスタッターの「アメリカの反知性主義」を読んで、なぜ今「反知性主義」が話題なのかを考えてみる、の巻。(笑) |
http://nikkidoku.exblog.jp/23631301/
今年の梅雨はしつこいですねェ。(T_T)
はい、この本は、1960年代初頭にアメリカの一流の知識人がどのような事を考えていたか、を知るには最高の良書だと思います。
ただ、今の日本が置かれた状況を解釈するツールとしては、ちょっと違うんじゃないかな、と感じました。(笑)
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2015年 07月 08日
リチャード・ホーフスタッター(1916-1970)「アメリカの反知性主義」"Anti-Intellectualism in American life" Richard Hofstadter 田村哲夫:訳 みすず書房:刊 原著は1963年、訳書は2003年刊、を読みました。 なんだかずいぶん間を置いての訳出ですねぇ。どうしてなんだろうか。 あっ、この本を手にとった理由は、最近あちこちで『反知性主義』という言葉を見かけたからです。 この言葉の意味がピンとこなかったし、インターネット上であれこれ検索してみると、さらに一層よく分からなくなったのです。(笑) で、どうやらこの本が大もとらしいということで、手にしたわけ。図書館から借りました。 う〜ん、本文だけで400頁近い大部の書ですねぇ。邦訳書ということもあって、かなり読み難い本です。(汗)そもそも、「反知性主義」って、どういう定義になってるんだっけ。ほぉ、6頁に記載がある。 田村哲夫さんの訳より。 『私が反知性主義と呼ぶ心的姿勢と理念の共通の特徴は、知的な生き方およびそれを代表するとされる人びとにたいする憤りと疑惑である。そしてそのような生き方の価値をつねに極小化しようとする傾向である。』 何かすっきりしません。元の言葉はどうなっているのかな?そこで、原書の当該部分を見てみます。 "The common strain that binds together the attitudes and ideas which I call anti-intellectual is a resentment and suspicion of the life of the mind and of those who are considered to represent it; and a disposition constantly to minimize the value of that life." ははぁ、the life of the mind を『知的な生き方』と訳しているのね。ちなみに、『反知性主義』はanti-intellectualです。intellectualを『知性』と訳しているのでね。 著者はあとで、intellectualと対比する形で、intelligenceという概念を持ち出します。このintelligenceは『知能』と訳されています。ややこしいのぉ。 まあ、そのあたりは、追って述べるとして、とりあえず、みっちの訳はこうです。 みっちの訳: 『私が「反知性的」と呼ぶ態度や考えに共通する感情は、心的生活とそれを代表すると考えられている人たちに対する憤りと疑惑である。また、そうした生活の価値を常に低く見ようとする傾向である。』 まず、「反知性的」であって、「反知性主義」ではないし、「心的姿勢」はちょいと疑問の訳ですねぇ。 さらに、「知的な生活」はthe life of the mindに対応するのですが、mindの訳を「知的」とするのは、あまりよろしくない気がします。(日本語が似ていて、区別しにくいと思いませんか?) 現に、この訳者は、第1章冒頭3頁で「知性」に「マインド」とルビを振っているのですよ。これでは誤解をまねきかねないです。そこで、みっちは、the life of the mindを「心的生活」と訳しています。 それでは、『心的生活とそれを代表すると考えられている人たち』とは、一体誰を指しているのか? それは著者に依れば、知識人intellectualです。具体的に職業で言えば、作家、評論家、教授、科学者、編集者、ジャーナリスト、法律家、聖職者など。もちろん、これらの職業の人の全てが知識人だと言っているのではないですが。(それにしても日本と感覚が違いますー笑) ですから、分かりやすく言えば、リチャード・ホーフスタッターのいう「反知性主義」とは、単純に「知識人に対する反感や憤り」のことなんですね。 第1章では事例AからLまでの12の例が挙げられておりまして、こうした「知識人に対する反感や憤り」の具体例が示されています。ただ、正直当時の社会状況(主として1950年代のアメリカの政治・社会状況です)がよく分かっていないと、あまりピンとはこないのですよ。例えばドワイト・D・アイゼンハワーが第34代アメリカ合衆国大統領に選ばれたことがが、盛んに言及されるのですが、その対抗馬だった(らしい)アドレイ・スティーヴンソンって政治家を知らない。(笑)アイゼンハワーって軍人だったよなぁ、位がみっちの常識なので、付いていけません。どうもアイゼンハワーが知的でない人物の例(笑)として挙げられているようで、彼が大統領になったことが、「知識人を否認した」好例という具合なんですが。 こう書いてくれると、とても分かり易い話みたいなんですが、どっこいリチャード・ホーフスタッターという人、そんな単純な人ではないのですよ。容易に想像できるように、大統領選の結果を左右する要素って、そんな『知的かどうか』なんて単純なものでは到底ありえないです。ここのところは後から(第8章で)色々な要素の話が持ち出されて、いよいよ分からなくなるのです。(笑)さて、第1章はこれ位にして、次いきましょう。 第2章は、「知性」intellectと「知能」intelligenceの対比から始まります。『知能の高い人はつねに賞賛を浴びる。これに対して高い知性をもつ人は、ときには...称賛されるが、憎悪と疑惑の目を向けられることも多い。』と著者は言う。そういう具合に、「知性」intellectと「知能」intelligenceを使い分けるのが正しいのかどうか、みっちにはよく分かりませんが。(汗) どうも、intellectは、mind(精神)やmental(心的な)といった概念に近い「思索する力」として、intelligenceは「何かを学ぶことに対する能力」といった感じのようであります。 『ほとんどの専門職において知性が役に立つとしても、知能さえあれば充分目的は果たせる。たとえば、大学人がすべて知識人であるわけではないのは周知の事実だ』 さて、だいぶ文章の量が多くなってきたので、先を急ぎましょう。著者は第3章以降、主に3つの観点からこの知性・知識人に対する反感を分析していきます。 1)アメリカの建国以来の宗教史にもとづく観点 合理的精神(合理主義)と信仰(宗教)が相容れない、ということなんですが、アメリカ建国の歴史を、そもそも知らない(汗)ので、ここはみっちには難しいなぁ。(嘆)福音主義、それに原始主義(一貫して直観にもとづく「知恵」を好む傾向がある)ですかぁ。 2)ビジネス(商業)社会からの観点 行動主義(大雑把に考える習慣、迅速に決定をくだし、好機をすばやくものにする)とか、狭い意味での功利主義とか、たしかに実業家と知識人は、相容れないでしょうよね。 3)教育界の状況からの観点 知性に敵意を持つ人が教育界で主流を占めているという。知的能力の低い子どもたちに味方することに熱意を傾ける人びとが、平等主義を掲げて、知性・知識人に反感を抱くと。 う〜ん、ここまでで、ともかくこの本の成り立ちは分かってきたけれども、これで一体、今の日本の状況にどういう参考になるんですかね?みっちには、とても話題になりそうもない本のように思えるけれど。何か裏があるのかしらん。 ウィキペディアの「反知性主義」の項を見ると、『本来は知識や知識人に対する批判、およびごく普通の市民が道徳的な能力を持ち、とりたてて教育を受けなくても、誰もが自然に発揮できるという平等思想、そこから転じて国家権力によって意図的に国民が無知蒙昧となるように仕向ける政策のことである。主に独裁国家で行われる愚民政策の一種。』となってます。 ははぁん、今日本で使われている「反知性主義」は、どうもこの最後の「愚民政策」に近い感じで、使われてるんですかね。でもリチャード・ホーフスタッターのこの本には、そうした意味合いは含まれていなさそうですが。 記事冒頭の写真は、ウィキペディアから拾ったリチャード・ホーフスタッターの肖像。みすず書房の同書の表紙の写真は、ホーフスタッターの写真じゃなくて、ジョゼフ・マッカーシー(「マッカーシズム」「赤狩り」)の写真が載っています。
by mitch_hagane
| 2015-07-08 12:34
| 5.本
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Comments(2)
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by
yomodalite at 2015-07-09 16:13
みっちさん、私も今年になってからこの本を読んだのですが、この記事には、そのとき気づかなかったことがあったので、参考記事として追加リンクさせていただきました!
http://nikkidoku.exblog.jp/23631301/
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by
mitch_hagane at 2015-07-09 18:02
yomodaliteさん、こんにちわ。
今年の梅雨はしつこいですねェ。(T_T) はい、この本は、1960年代初頭にアメリカの一流の知識人がどのような事を考えていたか、を知るには最高の良書だと思います。 ただ、今の日本が置かれた状況を解釈するツールとしては、ちょっと違うんじゃないかな、と感じました。(笑)
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