みっちにとって、「大阪」とは「将棋」である、の巻。(大笑) |
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2015年 06月 21日
升田幸三、実力制第四代名人、九段(1918-1991)という将棋指し、どのくらいの方がご存知なのだろう。 みっちは小学生から中学生にかけて、将棋狂いでした。家でとっていた朝日新聞の将棋欄は、大のお気に入り、升田幸三と大山康晴(1923-1992)の名勝負の数々は、今でも明確に記憶しています。 さて、時は昭和11年(1936年)、中外商業新報主催の「四段選抜登竜戦」で、東京の大成会本部(当時の将棋界は東西に二分されていた。大成会は東京勢の本拠)に乗り込んだ升田幸三は、ただ一人十代の若輩者、しかし居並ぶ強豪相手に6戦全勝して、「大阪に升田幸三あり」と名を轟かせます。 そこへ乗り込んでいく折の心意気は、歌の文句のとおりであったと、本人が語っています。 〽明日は東京に出て行くからは、なにがなんでも勝たねばならぬ... まあ、もっとも升田幸三さんは、広島県双三郡三良坂町(現三次市)出身で、大阪人ではないのですが。 師匠の木見金治郎九段(1878-1951)も大阪に家を構えてはいたが、岡山県児島郡木見村(現倉敷市)出身ですし。 あっ、木見は「きみ」と読みます。「もくみ」ではありません。升田幸三も読み間違えていて、弟子入りの時に、恥をかいています。(笑) さきほどの歌は、もちろん阪田三吉-この人は本当に大阪は堺市出身です-(1870-1946)のことを歌ったものなんですが、升田幸三と阪田三吉の接点もちゃんとあります。 升田幸三が財界人の集まる社交クラブへ稽古をつけに行く。そこへどこからともなく阪田三吉翁が現れ、升田の後ろに立って、じっと見ている。 稽古が終わり、升田が一息入れていると、「最近指した将棋、見せてくれへんか」と言われる。 何局か並べて見せると、おおきにと礼をいって立ち去られる。こんなことが何回か続いた後、升田はとうとう、「私なんかの将棋をごらんになって、どうされるんですか」と尋ねた。 阪田三吉の答えはこうであった。 「木村を負かすのはあんたや。あんたのほかにあらへん」 「木村を倒すのはあんたや。あんたの将棋はいい将棋や。大けな将棋や」 木村とは木村義雄十四世名人(1905-1986)、戦前戦後の将棋界を制した第一人者です。彼は東京本所出身でありました。 関西、大阪の将棋人にとって、この木村名人を倒し、「名人位の箱根越え」をすることは年来の悲願でありました。 こうして、升田幸三は、木村名人をライバルとして、打倒木村を広言するようになります。 全然関係ないのですが、みっちは、この升田幸三と宿敵木村義雄名人との確執に、写真界の木村伊兵衛と土門拳の姿を見るのです。(笑) 不思議なことに、写真界の重鎮、木村伊兵衛(1901-1974)も名前は同じ「木村」、彼もまた、東京は下谷出身でありました。 まあ、土門拳(1909-1990)は山形県酒田市出身なので、関西人ではありませんがね。 そして戦後の昭和21年9月、南方最前線の激戦地から辛くも復員した升田幸三は、大阪の新聞社「夕刊新大阪」の企画「木村・升田五番勝負」で三連勝して、大阪人の胸をすかせるのであります。 ただ残念なことに、阪田三吉翁はこの年の7月に急逝されており、かの宿願が叶う瞬間を見ることはありませんでした。 ああっ、今日は久しぶりに将棋の本を読みました。みっちは、もうかれこれ十年以上も駒を握ったことがありません。記事冒頭の画像は、中公文庫版「名人に香車を引いた男」升田幸三著ですが、将棋に詳しくない人には、ちょっと分かりにくい本かも。 それでも、将棋の棋譜以外の、地の文のところは、なかなか面白いと思います。 例えば阪田三吉の逸話。 『 阪田さんの表現は、だいたいがズバリ一言で、細かい理屈はくっつけんのです。たとえばしろうとの将棋を見とっても、 「アッ、それいい手や、初段」 という。指し手が進んで悪手が出ると、 「アッ、あかん。初段取り消し」 』 (笑)
by mitch_hagane
| 2015-06-21 15:15
| 5.本
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