lenovo Miix 2 8、オットー・クレンペラーの交響曲第6番「田園」、そして光瀬 龍の『百億の昼と千億の夜』(1965-1966年)の三題噺。(笑) |
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2014年 06月 29日
その1:lenovo Miix 2 8のセッティング続き Bluetoothのマウスとキーボードを使っていて、かなり長時間放置したところ、マウス・キーボードとも反応しなくなった。(汗)再起動すると、問題なく動く。 短時間では事象は再現しない。 デバイスマネージャから、Bluetooth→Bluetooth 無線、ここでプロパティ→「電源の管理」にて「電力の節約のために、コンピューターでこのデバイスの電源をオフにできるようにする」のチェックを外してみた。 これで一応再発しないようであるが、確信はない。もう少し様子を見てみましょう。 その2:ベートーヴェン交響曲第6番「田園」をオットー・クレンペラーで聴く みっちは、実は「田園」は苦手である。あまり聴いた記憶がない。60年代後半から70年代にかけて、友人宅でカラヤン/ベルリン・フィル(グラマフォン)のレコードを聴かせてもらったくらいである。 それがひょんなことから、再び聴いてみる気になった。みっちに入れ知恵したのは、例によって、Penguin Guideである。(汗) 参考過去記事:『注文していたPenguin Guideが届いたのだの巻。(嬉)』 EMI盤、オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア・オーケストラ、録音年月日は1957年10月7,8日、場所はロンドンのKingway Hall、プロデューサはWalter Legge、バランス・エンジニアTonmeisterはRobert Goochである。 一聴して驚いてしまった。 第3楽章の遅さは並ではない。遅いだけでなく、この構成感は、とてもじゃないが「田舎の人々の楽しい集い」ではありません。立派過ぎる。(笑) 演奏時間を見ると、第3楽章6分33秒ですね。みっちが昔聴きなじんだカラヤン(60年代の全集版)は同じ第3楽章をなんと3分02秒ですから、これだけ見ても違って聴こえるのは当然ですが。 みっちが手にしたのは、CDの再発盤です。ビルギット・ニルソンの歌うエグモントが入っています。エグモントは序曲はよく耳にしますが、劇中音楽の歌はあんまり聴いたことがなかったので、これも面白かったです。 その3:光瀬 龍の『百億の昼と千億の夜』(1965-1966年)を読み直す これはこの間『たそがれに還る』(1964年)を読んだ続きなんです。 これも、約半世紀ぶりの再読です。(汗) いやあ、今の時点で読み直すと、無理無理のストーリですねぇ。あのころ(高校生?-汗)は感激できたんだけどなぁ。(呆) 扉から 『夢をのみ 百億の昼と千億の夜に』 -R.M- 『寄せてはかえし 寄せてはかえし かえしては寄せる波の音は、何億年ものほとんど永劫にちかいむかしからこの世界をどよもしていた。』 みっち注: どよもす【響もす】 鳴りひびかせる。どよめかせる。 「朝の空気を-・す声」 「ほととぎす我が住む里に来鳴き-・す/万葉集 3782」 大辞林 第三版より はい、全体として「たそがれに還る」の虚無感が薄れ、何か既成の権威や権力への強烈な反抗意識が際立つ小説です。時代感の反映ですかねぇ。 あの頃は1970年の安保改定がwhich matters mostと感じられておりました。(呆) 一応軽く紹介いたしましょう。まずはあらすじですが、第4章までは大したことないので、文庫本扉カバーの惹句で代用。(手抜き-汗) 『アトランティスの記録を調べるギリシアの哲人プラトンは、その滅亡の原因がこの世の外にあることを知った。また、悟りの道を求めて出家した悉達多太子も、世の破滅を感じ、阿修羅王と共に、この世界を外から支配するものを見た。そして、十字架の刑に処せられたイエスも、外の力によって昇天したのだった』 主要な登場人物は、こんなところ。 プラトン・オリオナエ 悉達多太子(シッタータ) 阿修羅王 転輪王 ここまでが、『ええ方』です。(笑) ナザレのイエス 絶対者『シ』 ここまでが、『悪方』です。イエスが悪役なので、キリスト者の方は憤慨してください。(呆) さて、SFらしい話は第5章「喪える都市」あたりから始まる。 時は3905年、場所は未来のトーキョー周辺。 シッタータが培養タンクから目覚める。シッタータは6000年近く、このタンクで眠っていたらしい。体はサイボーグに改造され、記憶巣は人間であったころのそれが保たれているようだが、この処置を行ったのは誰か、という点は抹消されている。 未来のトーキョーは破滅に瀕しているようだ。 シッタータは、オリオナエに会う。オリオナエもサイボーグに改造され、すでにトーキョーに1180年も住んでいるらしい。オリオナエは自分のことを、『記録を留めるために特に調整されたサイボーグなのだ』と説明する。 シッタータとオリオナエを追って、ナザレのイエスが刺客として登場する。彼もまたサイボーグに改造されて、この未来世界に送り込まれたのであろう。彼はシッタータ達を800年待っていたという。イエスに狙われて、あわやという時に、阿修羅王が現れて、彼らを救う。阿修羅王もまたサイボーグ、その外形は少女である。『一人の少女がひややかなまなざしで立っていた。少年のように引きしまった容貌と肢体は陽炎のような偏光につつまれていた。』 シッタータ、阿修羅王、オリオナエの3人は、イエスを追って、アスタータ50(星の名前)へ、絶対者『シ』を求めて旅立つ。 『シ』(みっち注:シは死か?)は、知的生命-人類誕生を行った張本人らしい。しかし、知的生命の大規模な発展を恐れて、初めからそれが将来崩壊するような因子を忍ばせてあったのだ。(みっち注:それが神であり、弥勒であり、その他の信仰である) 『もし、それら知的生命の出現をきらい、将来必ずこれをとりのぞこうとしたら、ナザレの! おまえならどのようにする?』 『われわれの神は残念ながら、ことごとくあの破滅への陥穽でしかなかった。』 ところが、絶対者『シ』ですら予想しなかった事態も生じていた。反対勢力が自然に生まれたのである。 『その本質を知り、その破滅への過程から人々を救い出そうとしただれかがいた、と考えられる』 『いったい何ものがわれわれをこのようなサイボーグに改造し、あの荒涼とした、生物の影もない波さわぐ磯に放置したのか。』 この反対勢力を率いるものが、転輪王らしいのだが、詳細は明らかにされない。 ラストシーンは、仲間を失い一人となった主人公阿修羅王の、こんな描写で終わります。 『進むもしりぞくもこれから先は一人だった。すでに還る道もなく、あらたな百億の、千億の日月があしゅらおうの前にあるだけだった。』 はい、なんかまとまりませんが、本日はここまでといたしましょう。 冒頭の写真は、記事と無関係、京都蓮華寺のお庭です。一昨年の6月。
by mitch_hagane
| 2014-06-29 17:39
| 5.本
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