クレメンス・クラウスClemens Kraussのパルジファル1953年バイロイト・ライブを聴く |
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これは、回想録を読んでいく上で、どうしてもクラウスの演奏を聴いておく必要があったためである。
1953年のバイロイトは、カラヤンとクナッパーツブッシュ(以下クナ)が二人とも降りてしまったため、指揮者探しが大変であった。そこで救世主として現れたのが、クレメンス・クラウスである。
ところで、クラウスという人、日本では今一つ知名度に欠けるし、実はみっちは一度も聴いたことがなかった。そこで、1953年のバイロイト・ライブ盤パルジファルと指輪を急遽手配して聴いてみたという訳である。
う~ん手間が掛かるのですが、仕方ないですなあ。(苦笑)
今回はまずパルジファル。
クンドリーは、マルタ・メードルMartha Mödlが歌っている。
まず、お気に入りの聴き所を何カ所か聴いてから、通して一回、二回聴いた。
さて、その印象。
1.とても現代的な演奏である。テキパキしている。理知的といってもいいかもしれない。クナの演奏とは、好き嫌いは別にして、異なる。みっちは、素晴らしい演奏と感じました。どういう訳か、ピエール・ブーレーズのパルジファルを思い浮かべました。
ブーレーズのパルジファルは、日本では受けが悪いようだが、みっちはとても好きな演奏なのです。
2.本題からは少し外れるのだが、メードルのクンドリーは、役どころにぴったりで、いい感じです。どうも、彼女のブリュンヒルデやイゾルデには、今一つピンと来るものが無かったのですが、これは素晴らしい歌唱だと思います。あと印象的なのは、グルネマンツのルートヴィヒ・ヴェーバーLudwig Weber。
3.録音はモノーラル。音質はまあまあというところ、鑑賞には十分堪える。ときどき観客や舞台の雑音を拾う。なお、録音日時等のデータはまったく不明である。
演奏時間は、トータル3h56m45s、第1幕1h45m1s、第2幕1h0m14s、第3幕1h11m30sである。(CD情報に示される録音時間を積算してみた)
なお、いろいろなパルジファル録音のデータは、拙ブログのここに挙げてある。参考までに。
http://mitchhaga.exblog.jp/19781313/
クラウスのテンポが速く、演奏時間が短いのは明白である。
みっちの持っているCDの中では、ブーレーズのパルジファルが一番短いのだが、それに次ぐスピードである。
クラウスとリヒアルト・シュトラウスが親しかったのは、よく知られており、二人のツーショットの写真が何枚か残っている。
ここで、リヒアルト・シュトラウス自身のパルジファルの指揮ぶりを話しておかねばならない。
シュトラウスのテンポは非常に速かったのである。
以下はヴォルフガング・ワーグナーの回想録Actsの40頁より。なお()内はみっちの注釈です。
『
私の兄(ヴィーラント・ワーグナー)と私が最後にリヒアルト・シュトラウスに会ったのは、ガルミッシュGarmisch(ドイツ南部の都市)で彼の85回目の誕生日、1949年6月11日であった。ここで、彼は先ほど触れたテンポのことを、ババリアの文化大臣Alois Hundhammerの前で、こう再び述べた。
「いいですか、大臣閣下」と彼は言った。「これこそ伝統に対する困った事態なんです。
私が1933年にバイロイトでパルジファルを指揮した時、誰もがそのテンポは速すぎると言いました。
そこで私が(パルジファルの)バイロイトにおける最初の公演を聴いたことがあるのかと尋ねると、誰もがノーと答えたのです、そうだろうね。
しかし、私は聴いているのですよ、私の父が連れて行ってくれたからね、ルドヴィッヒ王がワグナーにミュンヘン宮廷楽団を貸し、彼自身も楽団の一員になっていたのです。
ワーグナーはレーヴィ(指揮者のヘルマン・レーヴィ)を、例のよく知られている(オーケストラピットの)覆いに付いた覗き穴越しに睨みつけながら、そんなに引っ張っちゃいかん!(原文:Don't drag so!)と言い続けたのです。
お分かりでしょうか、大臣閣下、パルジファルはここで演奏される機会が増えるたびに、より長くなっていったのですよ。」
』
どうでしょう、う~ん、ワーグナーの指示を生で聴いている人にはかなわないですねぇ。(汗)
説得力あります。
まあ、みっちが言いたかったのは、シュトラウスのテンポが非常に速かったことと、シュトラウスと親しかったクラウスは、それを知らぬはずはなく、その指揮ぶりにも影響があったはずだということです。
というのはクラウスという人、写真で見るとクラシックな2枚目というか、いい男である。(クナは、少なくとも容貌の点では、ちょっと分が悪い-笑)
この容貌の件といい、エーリッヒ・クライバーがナチスと衝突して、ベルリン国立歌劇場の音楽監督を辞任した後、その後任となり、またクナがこれもナチスとの対立のため、ミュンヘンの音楽監督を追い出された後、クラウスが後任に収まる等、世渡りの上手いスカした野郎ではないか、という感じがしていたが、どうも実際は頭のキレる理論的な人だったようである。
その一端は、以前このブログでさんざん扱った、ハンス・ホッターとアストリッド・ヴァルナイの回想録に現れている。もっとも、クラウスに関する記事は、今まで紹介していないのですが。(汗)
まあ、それはおいおい書きましょう。今日は少し長くなったので、ここまで。
さあ、次は、いよいよクラウスの1953年指輪ライブ。これがパルジファルとはぜんぜん違うのです。(愉)
写真は、クラウス1953年パルジファル・バイロイト・ライブ盤のジャケット。
写っているのはクンドリー役のメードルです。なかなか、いい写真だと思います。
Andromeda - ANDRCD9060(2013年リリース)
よくパルジファルは、厳粛で荘厳な音楽とか言われますが、ワーグナー自身には、それほどまでには、神秘的・宗教的に演奏しようという意図はなかったのではないかと感じます。
R.シュトラウスは、これ以外にもグルネマンツの歌唱について、面白い指示をしていました。これは書き忘れたので、あとで追記しておこうと思います。
何にしても、このあたりの経緯は面白いです。
>ブーレーズがバイロイトで指揮した時、同様の話をヴィーラントから聞いた...
おおっ、これは初めて聞きました。
こちらこそ、とても参考になります。(愉)
ご教示いただいた本は、早速手に入れて読んでみたいと思います。
貴重なコメント、ありがとうございました。
日本ワーグナー協会なる団体の有志の方がコジマ・ワーグナーとシュトラウスの往復書簡の翻訳に取り組まれています。
wagner-jp.org/contribution/hirose/hirose5.html
上記URLの翻訳記事の中で、1890年のドレスデン宮廷歌劇場でのタンホイザー上演について、あまりにもテンポが速すぎるとシュトラウスが批判してますね。その45年前にワーグナー自身の指揮で初演したのは他ならぬこの劇場なんですが。監督のシューフもシュトラウスもタンホイザーの初演は聴いてないはずなので、オペラ上演におけるテンポ設定が現代より裁量の幅が大きかったんでしょう。それにしてもシュトラウスに速すぎると言わしめるテンポってどんだけって感じですが(笑)
ヴォルフガング・ワーグナーの自伝を紹介し始めた時に、コメントを頂いた方ですよね。
>コジマ・ワーグナーとシュトラウスの往復書簡...
おおっ、これは有益な情報ありがとうございます。
タンホイザーのテンポが速い...う~ん、ですね。
1894年にシュトラウス自身が指揮した時はどうだったのか、また1891年92年のフェリックス・モットルはどうだったのか、色々興味は尽きないです。(愉)