アストリッド・ヴァルナイAstrid Varnayの回想録、始まり始まりぃ。(笑) |
まるっきりヴァルナイって人のことを知らない方は、まずはウィキペディアを見てください。(手抜き-汗)
ヴァルナイというと、ずいぶん昔の人のような気がするが、そうでもない。
ヴァルナイは1918年生まれで、ビルギット・ニルソンと同年生まれである。スウェーデン生まれというのも、共通である。ただ、ニルソンは生粋のスウェーデン人だが、ヴァルナイの両親は、二人ともハンガリーの声楽家である。ヴァルナイは幼い頃に、アルゼンチンを経て、アメリカに移住している。よって、アメリカ育ちである。若い頃の写真を見ると、どう見ても、ヤンキー娘という感じだ。英語はむろんネイティブだし、ドイツ語も流暢であった。
さて、その回想録であるが、原題は、"Fifty-Five Years in Five Acts: My Life in Opera"
出版社はアメリカのNortheastern Univ Pressで、前に扱ったハンス・ホッターの回想録を出版した会社と同じである。共著者(というか、ゴーストライター)は、ドナルド・アーサーDonald Arthurで、これも同じだ。
みっちが購入したのは、ペーパーバック版、大きさは2.7 x 15.2 x 23 cm、全363ページ、23枚の写真、ディスコグラフィー、オペラのレパートリーと出演回数、索引付き。
著者自身の謝辞、Rudolph S. Rauchのペーパーバック版だけの緒言(2007年)、Laurence B. Lueckのハードカバー版の緒言(2000年)、ヴォルフガング・ワーグナーの序文が付いている。
1997年にドイツ語版が出ている。ただし、ヴァルナイも共著者のドナルド・アーサーもニューヨーカーなので、オリジナル原稿は英語で書かれたそうである。(Lueckの緒言から)
本書の章立ては、オペラになぞられて、何幕何場とされているが、普通の言い方でいえば、序章に続き、全5章の構成である。
序章は、ヴァルナイのもっとも有名なエピソードである、メトへのシンデレラ・デビューの話が綴られ、後の5章は時間軸に沿った、年代順の記載である。
では、まず序章の紹介から。
時は1941年の12月初旬、寒い金曜日の朝である。ニューヨークの地下鉄から、まだ23歳の若い歌手が、14番街の出口から姿を現す。そして、7番街の角を曲がり、メトロポリタン・オペラ・ハウスへ向かう。彼女は、最近メトと契約を交わしたばかりなのだ。
彼女は、このところいつも、朝からマエストロ・エーリッヒ・ラインスドルフErich Leinsdorfのレッスンを受けていた。だが、この日はちょっと様子が違ったのだ。
いつもは、ローエングリンのエルザ役のレッスンをするのだが、今日は、ワルキューレのジークリンデ役を通しで、歌えという。それも、声をセーブして、半分の声量でよいというのだ。
彼女(ヴァルナイ)が歌い終わると、マエストロは、平然として、メーキャップと衣装係のところへ行けと命じる。
なんと、翌日の土曜日のマチネー(昼公演)に出るマダム・ロッテ・レーマンLotte Lehmannが風邪を引いて、出演できないというのだ。誰かが代わりを勤める必要がある。
メトには、他に4人のソプラノがいるのだが、Helen Traubelは同じ公演でブリュンヒルデを歌うのだし、Rose Bamptonは今日の公演のドン・ジョヴァンニでドンナ・アンナを歌うから無理だ、Irene Jessnerはコンサート・ツアーに出ていてニューヨークに戻るのは間に合わない。
おおっ、そうすると、残っているのは、あのヴァルナイとかいう、若い子だけだよ。(笑)
ヴァルナイは、母親のためにバラの花束を買って、興奮して帰宅する。それを聞いた母親(彼女はコロラトゥーラ・ソプラノ歌手であった)の反応が凄い。母親はバラを静かにいけると、コートを着て、あすの朝食用にカウボーイの食べるようなステーキを買いに出かけると言う。彼女の意見では、ジークリンデを通しで歌うには、是非とも十分なタンパク質をとるのが肝心だというのだ。(笑)
その夜は眠れなかった。しかし、母親はこういう場合の対処法も心得ていた。寝返りを打ったり、羊を数えたりとか、怪しげな方法に頼らず、ただ静かに横になって、リラックスしなさい、というのだ。ヴァルナイはなんとか、少し眠ることができた。
翌朝、ヴァルナイはステーキを上の空で食べて、地下鉄に乗って、メトに出かける。楽屋には、お守りとして、尊敬するキルステン・フラグスタートの写真を置いた。
相手役となるジークムント役は、ラウリッツ・メルヒオールLauritz Melchiorである。彼はヴァルナイに、"Verlass dich auf mich"と声を掛けてくれる。(「任せてくれ、私が君の面倒を見るよ」位の意味)
そして、いよいよ公演。それは大成功で終わる。
熱心な(そしてお金の少ない)ファンは、立席standing roomで公演を聴く。そういう立席の仲間たちが、楽屋に来て、祝福してくれたのだった。
その頃は、土曜日のマチネーの批評は、月曜日の新聞に載った。月曜日の新聞は、日曜日の夜に手に入る。ヴァルナイの弟は、日曜日遅く、翌日の新聞を手に入れるために、外へ出かけた。そして、何時間も帰ってこない。ついに帰ってきた彼は、激しく動揺しており、手にした新聞の束をテーブルに投げ出した。「戦争が始まったんだ!」
その日曜日の早朝、大日本帝国が真珠湾を奇襲攻撃したのである。
なんとドラマティック、ヴァルナイも自分で言っているが、こんな芝居がかった話は、実話と思えないですね。
はい、本日はこれまで。写真は、原書の表紙です。
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